運平は首を振った。
「便所はないよ。その辺の木陰でするのだそうだ。すぐ、放し飼いのブタが来て、片付けてくれるそうだ」
「……」
シメはちょっと青い顔をした。
「又は朝暗いうちに用を済ませるらしい。日が昇るころにはブタの胃袋に納まって跡形もない」
「………!」
「どうしても馴れなかったらそのうちに便所を作りなさい。しかし、毎朝ブタに片付けさせた方が反ってキレイだ、と外人は言ってるがね」
「そのブタはどうするのだろうか?」
一人言のようにシメが呟いた。
「あんな、昨夜、旨い旨いって此処の豚肉を食っていたじゃないか」
「……!」
シメは一層青い顔になった。
六月の末だから、コーヒーの実の採取期はすでに半ばを過ぎていた。農場側の要請で、人々は三日目から仕事を始めた。
朝四時半に鐘が鳴った。カラン、カラン、カラン……ぐっすり寝込んでいるコロノ達を、金属の震動音が執拗にゆさぶり起す。
起きて顔を洗い、身仕度をし、何か食べる。
ランプの光が弱々しくなって外が白々と明るむと、監督が吹き鳴らす角笛が響いた。
人々は昨日教えられた通りに、クマデやフルイを持って外に出た。運平が監督の一人と並んで立っていた。
「お早よう」
「お早よう」
人々は挨拶を交しながら運平の廻りに集った。まだ陽がささぬ冬の早朝は寒かった。みんな着ぶくれて背を丸めていた。
「皆集ったか?」
「はい」
薄明の中にお互いの顔がボンヤリと見えた。監督と運平を先に立てて、人々はゾロゾロと歩きはじめた。
採取期のこの農園には四百家族のコロノがいる。角笛にせきたてられた羊の群のように、あちこちの長屋から無数の人間が吐きだされ、朝霧の大地を分けてそれぞれの持ち場へ散開して行く様子はさながら戦争の一場面のようであった。
イタリア移民の娘たちは赤いハンカチを頭に巻いている。スペイン人やロシャ人たちもそれぞれのお国ぶりがどこかに現われていた。新米の日本人たちは、女たちは手拭いを姉さんかぶりにしていた。男たちは烏打帽子ムギワラ帽などあり合わせのものをかぶっていた。