パリ五輪の20km競歩が行われた1日、ブラジル人選手のカイオ・ボンフィン(33歳)が1時間19分09秒のタイムで、銀メダルを獲得した。これは同競技の五輪大会における、ブラジル史上最高の成績だ。健康問題や幼少期の手術、同競技への偏見など、数々の困難に直面しながらも、彼は競歩への情熱を持ち続けた。同日付CBNなど(1)(2)(3)が報じた。
カイオのスポーツとの関係は長く、両親から直接受け継いだものだ。首都ブラジリアのソブラジーニョで生まれた彼は、同地域の陸上競技の普及を目的として両親が設立した「ソブラジーニョ陸上競技センター」で幼少期からトレーニングを積んできた。
彼の両親もまた、陸上競技と強いつながりがある。母親のジアネッテさんも競歩選手であり、8回の国内チャンピオンに輝き、五輪大会に出場経験がある。彼女のコーチは夫であり、カイオの父親でもあるジョアン・セナさんだ。現在、カイオは両親による指導を受けている。
乳糖を体内で適切に消化できない「乳糖不耐症」という健康上の問題で、子供の頃から骨が弱かった。3歳の時には脚が曲がってしまい、動き回るのが少し難しくなったため、矯正手術を受ける必要があった。この頃、「一生まともに歩けない」と考える医者さえいたという。
さらに、生後わずか7カ月のときに髄膜炎にかかり、肺炎を2度経験した。だが、これらの障害は彼の進む道を阻むことはなかった。成長するにつれて競歩に対する理解が深まり、カイオは次第にその魅力に惹かれるようになった。
16歳の頃に本格的にトレーニングを開始したが、競歩に対する人々の偏見を恐れていた時期もあったという。街中で練習している際に、偏見から「腰ふり運動」と揶揄されたり、「働け、怠け者」と罵倒を浴びせられたりした。競歩には、両足を同時に地面から離してはいけないというルールがあり、そのために腰を振る必要がある。
カイオは「多くの苦しみを味わった。競技に勝つことより、偏見に打ち勝つことが難しかった」と心情を吐露している。その後、競歩の世界で着実に実力をつけ、結果を出すにつれて嫌がらせは徐々に減っていったという。
2012年ロンドン五輪で初出場を果たし、37位と苦いデビューとなったが、次のリオ五輪では4位と大健闘だった。だが次の東京大会では13位にとどまった。
このパリ大会での勝利は、カイオのキャリアにおいて好調な時期にもたらされた。2023年には世界陸上選手権で3位、同年のパン・アメリカ競技大会で銀と銅を獲得していた。
「これは神様が私に与えてくれたとても特別な瞬間だ。このメダルを息子たちに持ち帰る機会を得られたことに感謝している。まだ実感が湧いていないが、このメダルがこの瞬間を永遠のものにしてくれると思う」と喜びを語った。