《特別寄稿》ブラジル日系人の8個の価値観=海外日系人協会常務理事 ブラジル日本文化福祉協会顧問 森本昌義

ブラジル日系人のアイデンティティ「8つの価値観」

森本昌義さん

 今年の5月初め、日本の岸田首相がブラジルを訪問したのは皆さんよくご存じの通り。外務省の広報によれば、5月4日、ブラジル日本文化福祉協会(文協)ビルで日系諸団体による歓迎式典が開かれ、関係者400名を前にした挨拶の中で、岸田首相は、文協の架け橋プロジェクトメンバーが中心になってまとめたブラジル日系人のアイデンティティ―「8つの価値観」(8 Valores dos Nikkei) について言及しつつ、このような価値観は実は日本人も忘れてはならない、と述べたということです。
 「8つの価値観」は、日本語では“責任感”“忍耐力”“向上心”“親切心”“正直”“他への感謝”“集団内での協力”“他人への敬意”で、一般のブラジル人と比べ日系人が特に有するとみられる資質のことです。これをまとめるに至った経緯については、これまで文協のいくつかの催しの中で発表されていますので、詳細は控えますが、当初から関わり、日本から観察していた筆者の感想を申し述べたいと思います。
 1945年の敗戦の直後の日本は、食料や生活必需品が欠乏する悲惨な状況にあったので、アメリカの慈善団体などが1946年から52年にかけて粉ミルクや食料品衣料などを送ってくれましたが、アメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどの日本人団体などからも一緒に支援していただきました(LARA物資と呼称)。
 この海外在住の日本人・日系人の同胞愛に感謝し、戦前・戦中のご労苦を慰めるため、1956年末日本が国際連合に加盟したのを機会に、国会議員が中心となって1957年5月海外日系人親睦会が東京で開催されました。1960年の第2回から「海外日系人大会」と改称され、毎年開かれるようになりました。

文協の歓迎会で挨拶した岸田文雄総理大臣

今年の海外日系人大会は10月15日から

 参加者は永住の目的で海外に居住する日本人とその子孫で国籍・居住地・混血は問いません。今年の第64回大会は、10月15日から17日に東京で予定されています。大会を主催するとともに、日頃、国内外の日系人との連携・協働を行っているのが、日本の公益財団法人「海外日系人協会」で、筆者は現在常務理事をやっています。
 2018年の第59回海外日系人大会は、ハワイへの移住150年の祝賀も兼ねてハワイのホノルルで開催され、各国代表が日系レガシーについて話し合いました。ブラジルからは当時のサンパウロ新聞の協力も得て、Ricardo Nishimuraさんをリーダーとした架け橋プロジェクトグループ20数名の方々が参加してくれました。帰国後、彼らは他の若い日系人やAndre Saito教授の協力を得て、ブラジル各地で数回のワークショップを開いて意見交換し、最終的に日系人の特質として上掲の8個の価値観が選定された、と聞いております。
 ハワイでも初期の移住段階で自分たちの価値観を確認しあったそうで、10年ほど前にペルーでも同様の動きがあったようです。
 筆者は日本企業から派遣され10年間ブラジルに駐在し、その間多数の日系人のかたがたのお世話になりましたが、実はその前に15年間アメリカの南カリフォルニアでも勤務しました。この米・伯での経験から、若手ブラジル日系人の方々が、自分たちのアイデンティを鮮明にしようとなさったご努力に対し大いに敬意を表します。
 蛇足ですが筆者の観察するところでは、アメリカ本土における日系人は、日系人が共通に持つ特質やアイデンティをうんぬんするよりも、まずは、アメリカ社会が理想とするアメリカ人―旺盛な独立心、明確な自己主張、フェアネス(公平・公正)の追求などを体現することに重点を置いていらっしゃると考えます。

共感度の高さと多様性に寛容が日系人の特長

 ここで、筆者の独断と偏見にご容赦いただいて、あえて現在の日本人との比較の上で、あと2つ、日系ブラジル人が素晴らしいと筆者が感じるところを付け加えさせていただきます。一つは感情移入や共感度(empatia)が高いこと。残念ながら日本人はそんなに他人の気持ちを推しはかるような心つかいはしません。上司やお客さま、自分の利益に関係する人たちに対してはいわゆる忖度することはありますが、知らない人や他国の人に対しては無関心であることが多く、ブラジル人のようにempatiaが豊かではありません。
 もうひとつ、これは決定的に日本人に欠けていてブラジルの日系人が持っている美徳ですが、Tolerância a diversidadeです。多様性に寛容であることです。私の考えるところ、日本文化や日本人の価値観のベースにあるのは、機械化する以前の、水田によるコメの栽培で絶対に必要であった集団的作業です。
 水田作業は一人一人が勝手に行うことは不可能です。川や溜池から水をひいてくることからはじまり、田植え、稲刈りなど何でもみんな一緒に同じペースでやることが一番効率的でした。さらに皆貧しく、小さな村に固まって暮らしていたので、農作業以外の付き合いなどでも、いつも他人から見られていることを意識して、仲間と同じように行動しました。だから多様性はあり得なかったのです。この一昔前の慣習は、現在の日本社会や日本人の行動にもまだ根強く残っています。
 一方、ブラジルに移住した日本人は、ブラジル人との交流を通じて、もともとのブラジルの文化基盤であった「個を大事にする」「他との違いを認める」など多様性に対する寛容性を身に着けた、と私は考えるのです。
 このことについて私は小論文を書き、「ブラジル日報」に投稿し、掲載されました。見出しは 「ムラ社会と決別し、個を大切にする日本へ」ですが、この小論は“A Sociedade Japonesa deve deixar de ser uma sociedade MURA e valorizar o individuo”のポルトガル語訳題名で、今年の文協の年鑑誌Coloniaに掲載されたと思います。お読みいただければ幸いです。

第60回大会で主催者挨拶をする飯泉嘉門海外日系人協会会長(当時、提供・海外日系人協会)

女性の活用、多様な人材の尊重が発展の基盤

 日本経済は、20世紀末から低迷、というより他国と比べ衰退しています。国民ひとり当たりのPIBは、20世紀末には世界の5位に入っていましたが現在は32位で相対的に貧乏になりました。スイスのIMDが毎年調査する国際競争力調査では1989年から92年の4年連続で日本は世界1位でしたが、今はなんと38位に落ちています。政府やビジネスで効率が良くないことがその理由ですが、根本原因は個々の働きや努力が報酬や昇進にほとんど関係しない終身雇用・年功型賃金がいまだにほとんどの企業で存在しているからです。
 この制度は、20世紀後半、良質で均質な大量の労働力が必要であった大量生産時代には安定した生産のベースとなりきわめて有効でした。しかし、現在はITが全面的に導入されAIやイノベーションを推進する個々の能力発揮が必要とされています。つまり、個を大切にして女性の活用は当然のこと、多様な人材を重んじることが発展の基盤になっているのです。残念ながら多くの大企業の経営幹部は自らの保身や既得権益の保守に走り、勇気をもって変革しないので、日本経済は凋落の一途をたどっているのです。
 かつてブラジルに移住した日本人とその子孫の方々は、個を大切にし能力を評価するブラジル社会に積極的に適合して、自らを変革なさったのでしょう。その結果今日の日系ブラジル人の地位があると思います。現在の日本人がぜひとも見習わなければならないことでありましょう。

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