小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=21

 が、彼は割に平静だった。彼は儲ける心算でブラジルに来たのではなかったし、鈴木貞次郎にコーヒー園の仕組みも一応聞かされていた。だから笠戸丸移民たちが置かれた状況を、客観的に見ることができた。二、三年頑張って辛棒してみなければ結論はくだせない、というのが運平の判断だった。
 彼等は違約金を払っても、すぐこんな処を出て良い仕事を探した方がいいと騒いでいる。しかし、運平がサンパウロ移民収容所で見た自由移民たちの契約システムは州政府が農場側を監視する公平なものだった。だから日本移民が入った処だけが特に酷い処だとは思えない。
 このグアタパラにも二千人ものコロノ(農園労働者)が働いている。借金だけが増える処に、これだけの人間が居着く訳はない゚
 一攫千金の夢は破れた。しかし、ここはブラジルでも有数のコーヒー園の一つだ。ここに可能性がなかったら他のコーヒー園にもある訳はない。つまり、〝一攫千金〟の現実は存在しないのだ。この国でも、地道に働くこと。それ以外に、確実に金を儲ける方法はない、と運平は思った。
 それは日本でなら、とっくに分り切った常識だ。万に一つ、いや千万に一つのどえらい幸運が振りかからなければ、一夜で大尽になどなれっこない。
 しかし……どこか遠い処にはそんな日常社会の法則を無視した黄金郷が存在すると人は夢みていたのだ。日本で一生働いても得られない大金も、エルドラードへ行けば手づかみで取れる、と甘い夢をみた。
 遥々と、地球の裏側まで大旅行をして来て、人間の生活はどこでも同じである、という平凡な認識に、二十二才の運平は達したにすぎない。
 人間のいる処には人間の生活がある。それだけのことだった。血相を変えて議論しているらしい家長たちの甲高い声をコーヒーの樹越しに聞きながら、彼は不意に可笑しくなって、独りで笑った。
 まだ夢がさめぬ彼等がおかしかった。しかし、それは自分についても言えるのだった。美しい情熱的な響きに魅せられてスペイン語を学んだのにこうやって毎日外国語を喋るようになると、それはまず〝意味〟であった。
 美しい響きに酔うために喋るのではなく、意志を伝えるために喋るのであった。いくらスペイン語やポルトガル語が異邦人にとってエキゾチックに響いても、それは遠くから眺めていた間だけだった。毎日スペイン語を喋って暮らせば、それだけでまったく変った素晴らしい日常が展開すると、他愛ない夢につかれて外語に入ったのだった。

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