「沖縄系の人々のおかげでボリビアの食糧生産は豊かになった」――オキナワ日本ボリビア協会(中村侑史(ゆきふみ)会長)が17日、ボリビアのサンタクルス県コロニア・オキナワ(オキナワ移住地)内同協会施設で「コロニア・オキナワ入植70周年記念祭典」を行い、サンタクルス県知事代理はそう称賛した。式典には世界中から慶祝団が参加し、母県からは池田竹州沖縄県副知事、沖縄県議会議員海外派遣団13人(団長=中川京貴県議会議長)らが出席。南米各国はもちろん、ブラジルからだけで県人会役員や元出身者ら250人以上が参加し、総勢900人で節目を祝った。
1954年6月19日、米軍占領下の琉球政府送り出し第1次移民団275人を乗せたチサダネ号は那覇港を出港。8月6日にサントス上陸。鉄道でボリビアに渡り、8月15日に入植予定地に入った。そこから70周年が経った。式典前に先没者慰霊祭が行われ、先人の冥福を祈った。
式典では島袋義和副会長が開会を宣言。日ボ両国歌を斉唱し、中村会長が挨拶に立った。中村会長は入植当初を振り返り「財政が不安定な時期もあったが、今は安定している。これからは2、3世の時代。今後も邁進していきます」と語った。
石川友紀氏(とものり、琉球大学初代移民研究センター長)の調査によれば、琉球政府の移民計画下で行われた移住者総数3231人中2599人が1979年までに移住地を去っており、定着率は約20%と極めて低い。だが初期の苦労を乗り越え、1980年代以降は大豆栽培で成功した。
来賓挨拶として、オキナワ村のメルカド・ルーベン・ダリオ村長が登壇し、「日本人移民が70年前に当地を開拓したことで今のボリビアがあります」と感謝を語った。
隣国代表として挨拶に立ったブラジル沖縄県人会の高良律正会長は、「70周年おめでとうございます。世界のウチナーンチュパワーのすごさを感じます。今後も協力し合いましょう」と祝福した。
母県の中川県議会議長は「70年の月日を振り返ると、先人の苦労と助け合いを重んじたウチナーンチュの強さを感じます。世界のウチナーンチュは家族です」と力強く述べた。続いて池田副知事も「コロニア・オキナワが国内有数の穀倉地帯として評価されていることを誇りに思います」との讃辞を贈った。
ルイス・フェルナンド・カマチョ・サンタクルス県知事の代理で出席したメナンチョ・ルイス・フェルナンデス県経済開発局長は「沖縄系の人々のおかげでボリビアの食糧生産は豊かになった。今後も両国の交流を続けましょう。今日はとても素敵な瞬間に立ち会えました」と地元産業への貢献を称賛した。
最後に在ボリビア日本国大使館の小野村拓志特命全権大使は「戦後移民として入植し、ウチナーンチュの絆で頑張ってこられ、今ではボリビアで欠かせない土地となったことを心強く思います」と語った。
沖縄県からの特別感謝状が、コロニア・オキナワと沖縄県との姉妹都市締結に尽力した島袋金丈氏へ贈呈された。島袋氏は「姉妹都市は永遠です」と述べた。池田副知事から功労者表彰、80歳以上高齢者46人への表彰も行われた。
協会を代表して中村会長から小野大使、池田副知事、フェルナンド県知事へ感謝状が送られ、式典は幕を閉じた。
式典後、祝賀会が行われ、親交を深めた。