小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=22

 スペイン娘と熱烈な恋を語るという夢はまだ色濃く若者の心に宿ってはいたが、たとえ外国語を喋って暮しても人間の〝日常〟そのものには変りないという事実は認識せざるを得なかった。
 彼は長いあいだ笑っていた。
 いやな認識ではなかった。外見こそ違え、人間は同じなのだという心良い認識だった。

 ……彼は笑いやんだ。じっと、遠くの地平線を眺めた。
 緑が波打って遥かに空にとけ込んでいた。赤いスカーフの娘が向うに居て、緑の中にその赤い点が目に鮮やかだった。こんな風景は日本にはない。風景がちがうように人の生活も、更に突っ込めば、やはり国に
よって違う筈だった。
 その違いは、ここに住んで人の情けにふれたり争ったりしてみないと分らないようだ。
 とにかく、目先のことにバタバタしてもダメだ。ここにいて、支出を押え収入を図ることが、さし当って最善の方法だ゚
 運平は思いついたように立ち上ると、折から通りかかった馬車に飛び乗って本部へ行った。総支配人のサルトリオに会うためである゚
 本部には色々な建物がある。今の時期で一番、人の目を惹くのはコーヒーの乾燥所だった。
 煉瓦を敷きつめただけの平らな広場にすぎないが、二・五アルケール(約六町歩二反)の広さがあった。その面積一杯に褐色のコーヒーの実が干され、人々が忙しそうに働いている様は壮観だった。
 サルトリオは機械部で蒸気トラクターの修理を指揮していた。機械が解るらしく、二、三人の男がサルトリオの言いなりに動いていた。トラクターといっても、ちょっとした機関車なみの怪物だった。車輪が人の背丈はどもあり、稼動中は消費する水を運ぶために六頭立ての牛車が要った。
「何んだね?」
 痩せた初老のイタリア人は、優しい目をして運平を見た。彼は、初めてブラジルが迎え入れた日本人労働者たちに、興味を持っていたのだった。日露戦争に勝った国民だから、並々ならぬエネルギーを持っているにちがいない。雇用者の立場から注意深く、その働き振りを観察していた。
「金券、金に換える、したい」
 と、運平は言ったし
「なぜだね?」
「売店高い、グァタパラの町、安い。金、要る」
「そうか」
 サルトリオは素速く考えた。

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