小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=23

 農場内の売店が、町の倍くらい高いのは事実である。賑やかな町と較べて客が少ない売店の品が割高なのは仕方ない。それに利権と結びついた独占事業でもある。
 金券といっても、内実は前借しのチケットなのだ。換金する義務はなかった。しかし、日本人たちの要求は大目に見てやろうと彼は思った。初めての人種である。人数も少ない。甘やかしすぎないように注意すればいいのだ。
「よし」
 とサルトリオは頷いた。
「今夜、事務所に必要なだけの金券を持ってくるように。すぐ金に換えてやろう」
 運平は礼を言って耕地へ戻った。

 ……次の日曜日の午後、運平は数人の若者と共にグアタパラの町へ行った。二十二家族から頼まれた細々とした品物を、手帳と照らし合わせながら買い入れ、やとった荷馬車に積み込んだ。
 休日なので近在の農民や牧夫たちが馬に乗って集っていた。彼等は赤土に染ったシャツを着て、幅広い帽子をかぶって、ゆっくりと馬を進めたり四辻で立ち話をしたりしていた。馬の鞍に買物でふくれた布袋をくくりつけていた。買物をしているのは男たちばかりだった。馬にゆられて半日がかりで町に出てくるこのあたりでは、買物は男たちの仕事だった。買物をしたあと、顔見知りとお喋りするのが楽しみであり社交であった。
 女たちは小川で洗濯しながらお喋りをする。
 日本人は珍らしいので運平たちは日曜の田舎町で注目の的になった。
「おう、ジャポン」
 とあちこちから声をかけられる。
「オーヤマ」
「トーゴー」
 日露戦争の将軍の名はこんな処まで響いていた。
 うっかり相手になると向うはヒマだからキリがない。いい加減に返事をしながら、彼は若者たちと共に買物を済ませ、農場行きの軌道車に乗せた。
 全ての依頼主の手に買物を分配し終ったときはトップリと日が暮れていた。

 皇国殖民会社ブラジル代理人、上塚周平がグアタパラ農場へ姿を現わしたのは九日八日の夕刻だった。
 痩せて黒い丸ぶちの眼鏡をかけた周平は、運平が驚いて声を挙げたほどやつれ、消耗していた。
 二ヶ月前に配耕状態を視察に来たときは三十二才の帝大法学士らしく威厳があり、颯爽としていた。それが俄かに十も老けたような背を丸めて、歩く姿も踉蹌としているのだった。

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