ブラジル日本文化福祉協会(文恊)初の2世会長(第8代1991―98年)の山内淳さんが16日午後2時ごろ、サンパウロ市の自宅で亡くなった。翌17日、家族とごく近しい親戚、友人によってアルファビーレ墓地にて密葬された。行年92歳。
妻和子さんによれば2週間前から「食欲がない」と言い、一切食べ物を口にしなくなり、水も飲まなかった。「苦しみは全くなく安らかに逝ったと受け止めています」と言う。本人が「葬式は派手にやらないように」と前々から遺言していたので密葬にした。初七日法要は行わず、四十九日法要は未定。
山内さんは1931年9月、サンパウロ州アラサツーバ出身。家族がパラナ州ローランジアに農場を持っていた関係で、同地でも育った。サンパウロ市のマッケンジー総合大学工学部電気科、土木科卒業。1960年、日立製作所サンパウロ駐在員事務所に勤務。1966年、ボビエル・エンジニア・インスタラソンエス会社を共同経営者と設立し、電気・水道・電話工事業に携わった。
1973年、日本の協和電設(株)と合弁でボビエル・キョウワ電設(株)を設立し社長に。1990年、経営審議会会長に就任。サンパウロ州建設工業シンジケート理事。
1973年、文協理事に選出され、常任理事、副会長を経て、1991年に会長に就任。出稼ぎ現象に関するシンポジウム『日系コミュニティーの将来』などを積極的に行い、同協会最初の2世会長としてコロニア活性化問題に取り組んだ。
文恊内に初級日本語講座を開設し、1996年の橋本龍太郎総理の来伯時に、日伯学園の建設支援を日本政府に要請した。同年から翌年にかけて国士舘大学と交渉してサンロッケ市の同センター移譲を受けた。公証翻訳人として翻訳業務をこなす傍ら、日伯交流協会会長も歴任。2003年に勲四等瑞宝章を受勲。現在も現役の終身文恊評議員だった。