小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=25

 上塚周平は隣のサンマルチーニョ農場から来たのだった。そこは初めの予定では運平がかけもちで通訳をすることになっていたが、距離的に不可能だと分ったので鈴木貞次郎が通訳となって行っていた。ストライキがこじれ、州兵まで出動する大騒ぎになって、十二家族の農場追放で一応おさまったという。
「皆はどうなったんですか?」
 運平は通訳仲間の四人の顔を想い出しながら訊ねた。
「加藤は?」
「移民たちとケンカしてやめたよ゚移民たちも散り散りになった」
「嶺は?」
「まだカナンにいるが、夜逃げする者が多くて、いつまで保つか……」
「仁平は?」
「農場をクビになった」
「フロレスタへ行った大野は?」
「まだ頑張っているが、六カ月の契約がすんだら残る者はないだろうから不安がっていた」
「……」
「あそこも夜逃げにつぐ夜逃げだ。金がないから昼間は追手の目を避けて草の中に隠れ、夜、線路伝いに歩く……。金の成っている場所を探して、言葉も地理も分らない異国を、鉄道の線路だけを頼りにさ迷っているのだよ」
 涙が再び周平の頬を濡らした。
 暗澹とした表情で運平はきいた。たった二カ月前に別れた友だちだった。暁闇にうずくまる客車へ、
「じゃ、先に行くぞ」と身軽く乗り込んだ嶺。午前の太陽に眼鏡をきらめかせながら、夫人と共に帽子を振りながら発っていった大野。寄せ集めで必ずしも全員の気が合った仲間ではなかったが、離れればやはり懐
しい東京外語の友だった。
 目の前の周平の憔悴した様子を見れば、一人一人で思いもかけぬ苦しい事態に翻弄されている通訳たちの姿は想像できた。
「こうなった一番の原因は、コーヒーが不作で結実してないことだよ」
 と周平は言った。
「仕方がないですな」
「ああ、仕方ない。……しかし、平野くん。だからといって、勝手に飛び出してはいかんのだ。移民の一人一人は弱い。それが己の欲する処とは言え、バラバラになってはいかんのだ。成功はおろか、乾いた砂に吸い込まれる一滴の水のように、この国に吸い込まれて跡かたもなく消えてしまう。今から十四年前、丁度日清戦争が始まった年に四五七人の中国人坑夫がミナス州の金坑に送られたことがある」

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