清和友の会(中沢宏一会長)は16~17日、ツアー企画「第3回ブラジル日系社会遺産遺跡巡り」を実施し、1946年から2年間余りにもわたって、勝ち組日本人移民172人が拷問・収監されたアンシェタ島などを巡り、先人の苦労に想いを馳せ、刑務所廃墟の芝生公園で千羽鶴、大漁旗、収容者遺族からの竹刀が、島を管理する森林財団に寄贈され、七夕イベント、吟剣詩舞の奉納などを行った。大戦に関わる日本移民への迫害を連邦政府が謝罪した7月25日から1カ月も経たないうちに、それを先人の魂に報告して奉納するイベントとなった。
16日(金)早朝、友の会一行約50人はサンパウロ市をバスで出発、夜は宿泊先ホテルでウバツーバ日伯協会(ANBRA)会員40人らと交流会を行った。同協会では、前日から婦人部ら20人が久々に集まって交流会の食事を準備したという。
牧山久保田イネス・タミコANBRA会長(2世)によれば、同地には約100家族の日系人がおり、日本移民100周年の2008年から日本祭りを開始、パンデミック前の2019年まで実施したが復活していない。「この交流会を機に活動再開を果たせれば」と期待しているという。
翌17日朝、一行は波止場からANBRA会員40人らと共にチャーターした船に乗り、島に上陸。ビジターセンター展示室で、森林財団同島部門のプリシラ・サヴィオラ・モラレイラ所長は「年間約6万人がこの島を訪れるが、このような歴史的文化的なイベントの機会は稀。連邦政府による日本移民謝罪を歓迎する」と述べた。
同センターには、日本人が収監されていた当時に直した発電機が展示されているほか、172人の名前が書かれた横断幕や、収監者の一人、山内房利さんの情報や写真が展示されている。
このアンシェタ島訪問は、人権・市民権省の恩赦委員会によって承認された、第2次世界大戦中および戦後の日本人移民に対するブラジル国からの迫害を認め、謝罪した7月25日から1カ月も経たないうちに行われた。この集団的謝罪請求は、奥原マリオ純氏とブラジル沖縄県人会が請求したものだった。この収容所にいた日本移民の大半は日の丸や御真影を踏むのを拒否しただけの無実の人々であり、1943年にサントスで起きた6500人の日本移民強制立退きなどが主な謝罪請求の理由だった。
刑務所跡地中央の芝生広場には大漁旗や幟が立てられ、ブラジル日本語センター関係者が作った3500羽の千羽鶴や世界平和などのお願い事を書いた短冊がつるされ、172人の中にいた4人の剣道教師の遺族がその名前を書いた竹刀と共に、同基金に寄贈された。戦前に創立された柔剣道連盟は大戦中に解散させられたという。
それらの前で小池庸夫さんが唸る歌謡吟「白虎隊」に合わせて、小林眞登さん(45歳、2世)が見事な剣舞を披露し、パラー州ベレンからわざわざ参加した河村淳さんが書道を披露した。
中沢会長は「地元の方が37人も参加してくれ、活動再開の一つのきっかけになれたのでは。何をやるにも終活の気持ちで臨みたい」と述べた。