「アッ、そうか」
運平は大笑いした。
周平も一緒に笑った。ホッホッと甲高い声で笑う人だった。
「それで、平野君。お願いがある」
周平は顔色を改めた。
「今迄どうやら無事なのは此処だけだ。君の力で何とか此処だけは散逸を喰いとめて欲しい。第一回のブラジル移民が実現するまでに、どれほど多くの人間の努力が尽やされたか、君も知っているだろう。この経験を生かして、第二回、第三回と移民を成功させるのが私たちの使命だと思っている。しかし、ここが崩れたら、おそらくもう移民事業は途絶するだろう。すでに、ペトロポリスの公使館は移民不許可にするべしとの意見を外務省に打電したそうだ。だが、たとえ一ヵ処だけでも成功したらそれを手掛りに移民事業は続く。それが狭い国土に悩む日本の将来の為だ、と私は信じる。お願いだ。平野くん君の力で何とか此処を喰いとめてくれ」
「……」
「理想という大袈裟な言い方がイヤなら、君個人のためでもいいさ。君だって、男の意地はあるだろう」
「それはあります」
確かに、自分でも負けず嫌いだとは思っている。
「喰い止めてくれるか」
「何とかやりましょう」
運平はアッサリ引き受けた。
そう答えた瞬間、彼の生き方が自然に決ったのだった。
通訳というのは、資本家と労働者の中間の存在だが、そのどちらにも属さなかった。脱耕者を止める義務も権限もない。しかし、彼が周平に約束した瞬間から、否応なく通訳としての立場を踏み出さなければならなくなった。
移民たちの不満が、農場側との交渉によって解消するのであれば、通訳は通訳としての職責を果たせば済むが、不満の原因は日本での宣伝に端を発している。農場側には無関係だった。運平はまったく自力で、人々の不満を押さえ紛争を防がなければならないのだった。
翌朝、運平は一晩泊った上塚周平を駅に見送ってから、馬を駆って四十キロ離れた隣のサン・マルチーニョ農場へ向った。そこで通訳をしている鈴木貞次郎に会ったのである。
主人が留守の彼の部屋には、スペイン語の辞書のそばに、昨夜周平が書きつけた俳句がポツンと置かれていた。