夜逃げせし移民思うや枯野星 瓢骨
とあった
上塚が訪れて去った日から一週間ほど過ぎた。サン・マルチーニョで派手な騒動があった噂は、ここにもすぐ伝わっていた。こうなったら騒いだ方がトクだ、という投げやりで殺気だった雰囲気が濃厚になっていた。
運平が一日の仕事を終えて帰ってくると、井上馬太郎の妻の亀寿が夕食を運んできた。
彼は農場本部の食堂で食事をしていたが、米が出ないので、週に何度か亀寿に食事を作ってもらった。
グァタパラにもリオ・グランデ・ド・スール州から米は入っていたが、祭日に、豆の上にパラパラ振りかける程度の調味料なみの使い方だった。これでは日本人には食った気がしない。
井上亀寿に食事の世話を頼んだのは、彼女がほとんど畑仕事に出ないからだった。夫と妻、それに一、二名の働き手という家族構成が普通なのに井上馬太郎の処は九人という途方もない数だった。
家長の馬太郎が二十八才、妻の亀寿が二十六才で、あとは甥だの従弟だの、従弟のまた従弟だの十七才から二十八才くらいの若者がゾロゾロいる不思議な家族だった。
従って彼女は家事だけでも大仕事で、他の女たちのように終日コーヒー園で働けなかった。
食事を運んで来た彼女に、運平は、
「井上に、メシを喰い終ったらちょっと来るように言ってくれ」
「ハイ」
固い声で答えて、彼女はそそくさと帰って行った。
独りで、ランプの灯の影を宿した飯を口に運びながら
〈井上の奴、はたして来るか……〉と彼は待っていた。呼びだしに応じるようなら希みがある。
騒動を起そうという動きは露骨になった。騒いで、農場側から契約破棄を言い出させれば自由の身になれる。
誰だって、自由になればもっといいことがありそうな気がする。皆、ワイワイ騒いでいた。会議は大いに気勢を挙げているようだが、鹿児島県人の川辺郡出身者たちが数の上からも中心だった。高知と新潟の五家族は主流ではない。
男たちの数は六三名だった。高知、新潟は十六人で、全体の四分の一になる。騒ぎの中心と対決するにしても四分の一だけでもしっかり押えておきたい。