小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=33

 翌朝、運平は三家族を荷物を乗せた馬車と共に駅へ送って行った。
 上井の妻のヒロはまだ十九才だった。ブラジル移民資格を得るため慌しく挙式したばかりの、まだあどけない娘だった。彼女は泣きはらして真っ赤な目をしていた。長屋の人口で、他の女房たちとの別れを辛がってひどく泣いた。まだ気心も知れぬ夫と、従兄の西の三人だけになって、これから遠いアルゼンチンへ流れて行く女を、可哀想だと彼は思った。しかし、移民の最後の砦となったグアタパラを守るための止むを得ぬ犠牲だった。
 運平は無表情にステーションに立っていた。やがて汽車が来て、三家族を乗せた列車はホームを離れた。最後尾の客車の箱がだんだん小さくなりやがて、汽車が巻きあげる上埃りの中にまぎれたまま地平線に消えていった。

第三章

 グァタパラ農場にピカピカ光った真紅の車が着いた。
 今年から生産されたばかりのT型フォードだった。
 農場主である株主たちの車だが、総支配人のサルトリオも乗っていた。それに、今のところ車を使いこなせるのは彼だけだった。運転手を養成する必要もあって、彼はこの新しい機械いじりに熱中していた。
 ある午後、
「ヒラノ、車に乗ってみないか」
 サルトリオが声をかけた。
 運平は馬を道端の木につないで助手席に乗った。
 ガタゴトと典雅にフォードは動いた。
「どうだ、乗り心地は。馬よりいいだろう」
 サルトリオは上機嫌だった。
 先を馬が行く。ブッブッと警笛を鳴らすと、馬は道端によった。
 グァタパラの町に出ると、人々が珍らしがってワイワイ後を走ってくる。群衆に埃をあびせながらT型は町を一周した。埃を赤くかぶりながらも人人は後を駆けて来た。
「どうだ。偉くなったような気がするだろう」
 サルトリオは後を振り向いてから、楽しそうに言った。
 運平は笑った。
「これは仲々いい車だ。よく出来ている」
そう言われても、初めて自動車に乗った運平には判断がつかなかった。
「日本人の移民はこれからも来るのかね?」

最新記事