JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える=(21)〝野球王国〟の輝きを再び=バストス日系文化体育協会 垣内颯真(かきうちそうま)

準優勝した際の集合写真(Pre-junior 13-14歳)

 サンパウロ州バストス市で野球隊員として活動している垣内颯真です。
 同市はサンパウロ市から約550キロ内陸に離れた人口約2万人の小都市で、国策移住地第一号の歴史ある日系社会です。ブラジル最大の鶏卵生産地でもあり、〝卵王国〟として知られています。
 配属先であるバストス日系文化体育協会は1928年に設立され、会員数は約500世帯。日本語学校の運営をはじめ、パリ五輪選手輩出の柔道や野球部などの活動を支援しています。また慰霊祭や敬老会、新年祝賀式などのイベントも主催しています。
 私が指導する野球部では未就学児から高校生までの子どもたちが赤土のグラウンドで日々練習しています。過去にはメジャーリーガーも輩出したことのある同野球部は、非日系の選手が大半を占めているのが特徴であり、ブラジル代表選手から初心者まで幅広いレベルの子どもたちがプレーしています。
 ここバストスは〝野球王国〟としても栄華を極めた歴史があります。
 過去には市内だけで10以上のチームがあり、支部対抗戦は街の一大イベントで、〝野球選手〟が職業として存在した時代もありました。〝バストスを制する者はブラジルを制する〟と言われ、移住宣伝に野球が使われて多くの移民がバストスに憧れを持ちました。
 バストス文協紙によると、ブラジル初の野球場はここバストス。なにせ、ブラジル野球発祥の地がここバストスであると云います。真相は定かではありませんが、野球がバストスの人々の誇りとなり、心の拠り所となっていたことは間違いないと思います。
 2024年2月末に任地へ来て、半年が経ちました。ブラジルのイメージは来る前に抱いていたものとギャップもなく、ここまで生活できています。特にブラジルの子どもたちの人懐っこさやオープンな性格に救われています。活動初日に「Hi ! How are you?」と笑顔で話しかけてくれたジョンくんの子どもながらの心遣いはとても嬉しかったです。
 また、プロ野球リーグのないブラジルの子どもたちはMLBや日本の野球を観て育ちます。そのため大谷翔平選手の影響力も大きく、日本人である私に対して嬉しそうに大谷選手や山本由伸選手のモノマネをしてくれます。

大会で3位になり喜びを分かち合う子どもたち

 ゲスト扱いではなく最初から仲間のように接してくれたおかげで、活動初日から遠慮することなく精力的に活動に取り組めたことをよく覚えています。
 ブラジル野球は日系社会を中心にプレーされてきた歴史もあり、日本式の野球が色濃く残っています。応援に熱が入りすぎて保護者同士で口論したり、熱くなりすぎたチームのスコアラーが審判から退場宣告を受けたり、選手自身も日本では考えられないくらい闘志むき出しでプレーします。そんなブラジルでも礼に始まり礼に終わる礼儀を実践しており、日本の礼儀教育が継承されています。
 練習前後、試合前後の「オネガイシマス」「アリガトウゴザイマシタ」だけでなく、遠征先の食事の際は「イタダキマス」「ゴチソウサマ」を全員で言います。
 今日、非日系の野球人口の割合が増えており、時代の流れとともにスタイルが変わりつつありますが、礼儀・規律は継承されているのだと感動しています。
 こうして、いま日本人の指導が求められる理由を考え、日系社会で継承されてきた野球の形を尊重しつつ上手く時代に適した指導を心掛け、〝野球王国〟バストスとしての輝きを取り戻すべく、そして恩返しできるよう残り1年半、活動に努めて参ります。

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