入植70周年=ボリビアにあるオキナワ=小さな村の壮大な歴史=(3)コロニアに息づくゆいまーる精神

婦人部によるバザーコーナーの様子

 17日、オキナワ日本ボリビア協会主催のコロニア・オキナワ入植70周年記念式典が移住地内協会施設文化会館で行われた。開会予定時間の午前9時よりも少し早めの午前8時に会場に着き、「もう誰か来ているかな」と施設内を見て回っていると、同協会婦人部が行うバザーコーナーから賑やかな日本語の会話が聞こえてきた。
 笑顔が一際明るい宮城アメリアさん(68歳、3世)は聖市内でも県系人が多いことで知られるカーザ・ベルデ出身だ。コロニア・オキナワ出身の良光さんとの結婚を機に当地へ移住した。
 アメリアさんに沖縄への想いについて聞くと、「私は沖縄にとても感謝しています」と目に涙を浮かべるようにして語り始めた。
 アメリアさんはブラジル在住時、JICAサンパウロ事務所に勤め、26歳の時に沖縄県費留学に参加した。その後も他の研修制度を利用して、約2年間沖縄に滞在。夫の良光さんとも沖縄で出会った。
 1986年〜2000年の間は日本にデカセギに行き、日本で子ども2人を生んだ。アメリアさんは日本語が堪能で、せんべい屋や、ケーキ屋、ポルトガル語のコールセンターなどで働いた。小さい子どもを育てながらのデカセギは大変だったが、おにぎりを作って公園で子どもと過ごした日の思い出は今でも大切な宝物だと話す。
 アメリアさんはサンパウロとコロニア・オキナワの違いについて「ここには沖縄の文化、方言がより残っています」と語る。沖縄での経験を大事にしているアメリアさんだからこそ、コロニア・オキナワに馴染むことができたのだろう。
 そして「コロニア・オキナワのめんそーれ(ようこそ)/ゆいまーる(助け合い)精神はすごいんです。お互いに助け合って外から来た人も寛容に受け入れてくれます」と話し、婦人会での活動の楽しさを語ってくれた。
 一般的にはコロニア・オキナワの入植初期に苦労してブラジルへ流れてきた県系人が圧倒的に多いという認識だが、実はポロロッカのように逆流する人もいるのだと分かった。しかも、ブラジルで生まれながら、母県でコロニア・オキナワ出身の夫と出会って、ボリビアに移り住むという流れは興味深い。
 ひとしきり語り終えるとアメリアさんは「もう私の話はいいから!」と私の手を引っ張り、婦人会の元役員、津坂涼子さん(74歳)の元へ連れて行ってくれた。(島田莉奈記者、続く)

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