小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=36

 ……車から降りて独りになった運平は、まだボンヤリしていた。すでに馬に乗っているのだが、習慣的に手綱を握っているだけである。馬も、どうしていいか分らないらしく、勝手に歩いたり立ち停ったりしている。
 日本人が気に入ってもっと移民が欲しいらしいことは分る。だが、そのことと、二十二才の若造の自分がドカンと副支配人にされるという点とがどうもうまく結びつかないのだった。
 明治の日本に育った彼の感覚からいうと、そんな場合せいぜい自分を監督に引き上げて恩を売ったり、政府の係官や移民会社の幹部に一杯飲ませて接待したりするのが考えられる策略だろう。現に、日本の移民会社は地方の代理人を集めては芸者を揚げて飲ませ、それで移民募集の成績を挙げている。
 それなのに、いきなりおれを副支配人にして、ブラジル屈指の大コーヒー園を委せるとは……。武者震いのようなものが体を貫いた。
 馬はトコトコ走った。だんだん運平は愉快になって来た。
「アハハ……」
 と彼は独りで笑った。
 今までは他人のものだと思っていたコーヒー園が、なんだか自分のもののように思えて来たのが不思議だった。こんなやり方が存在するブラジルという国が、少し好きになっていた。スペインへの夢が遠くなった。〈それもいいさいつかは行く機会があるだろう。暫くはここで頑張ってみよう、面白い国じゃないか〉と思った。
「アハハ、アハハ」
 彼は哄笑しながら馬を駆けた。果てしなく続く緑の園だった。林の中に若さが燃えていて、どこまでも遠く馬を駆って走って行けそうだった。

 毎日のように雨が降るようになった。雨期に入ったのだ。たっぷりと暖かい雨がそそいだ合い間に、カッと太陽が照りつける。自然は豊饒な生命力を惜しみなく地表に注ぎ込んでいた。
 人々は雑草と闘っていた。信じられぬスピードで芽が延び、根が張る。数日仕事の手順を狂わしたら、手がつけられぬほど草は還しく繁った。草の根も一筋も残さないように掘り返すのが、一番効果があるやり方だ。しかし、実に手が掛る。一人に二千五百本の受け持ちは楽ではなかった。

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