入植70周年=ボリビアにあるオキナワ=小さな村の壮大な歴史=(6)半世紀ぶり、初めての里帰り

 「乾杯!」――17日、小野村拓志駐ボリビア特命全権大使や池田竹州沖縄県副知事らも出席した入植70周年記念式典は総勢900人で盛大に催され、その後の祝賀会は近くの人の声も聞き取れないほどの賑やかな盛り上がりを見せた。
 そんな祝賀会会場の一隅に、アルゼンチン国旗を持って、懐かしそうにあちこち写真撮影をするグループを見つけたので声をかけてみた。

姉妹で参加したマリさん(左)と初美さん(右)

 その宮代初美さん(70歳)とマリさん(65歳)姉妹は、両親が南城市からコロニア・オキナワへの移住者で、2人は同移住地で生まれたという。1968年にコロニア・オキナワで大洪水が発生すると、やむを得ず同地を離れる住人が増え、初美さんが14歳、マリさんが10歳の時に宮代一家も、叔父を頼ってアルゼンチンに再移住した。
 一家は当初、アルゼンチン北部カタマルカ州で洗濯屋を始め、生計を立てた。「コロニア・オキナワでは、学校やミサでいつも近所のみんなと一緒に過ごしていた。だけどアルゼンチンは日本人が少なく、とても寂しかったです。アルゼンチンには出身地ごとに結束する力と文化があったけど、コロニア・オキナワでは出身地や血縁関係が無くてもお互い助け合う文化があり、コロニアの方が過ごしやすかったですね」と振り返った。
 マリさんは「出身地ごとに結束する文化」と同時に、母国と移住先では心を入れ替える移民たちの印象的な姿も見てきたという。
 その例として、アルゼンチン北部に多いアラブ系やユダヤ系の移民のことを挙げ、彼らは「祖国では殺し合っていても、僕たちはここでは同じテーブルで食事をするんだ」との考えで共生を実現していたことを説明した。この辺は、ブラジルにも共通する〝出身地や属性を切り離して共存を優先する南米特有の移民文化〟かもしれない。
 カタマルカに移住して3年が経つころ、一家は子供たちの教育環境のため、首都ブエノスアイレスへと移った。
 妹のマリさんはその後、国際交流基金の研修制度で日本に短期滞在し、帰国してからは日本語教師として働き始めた。職場でJICA派遣の日本人日本語教師と出会い、結婚。日本やドミニカ共和国にも移り住んだが、両親がアルゼンチンにいることや、暮らしやすさの観点から2005年にブエノスアイレスに戻った。
 それからマリさんは旅行会社や貨物船会社で勤務した。貨物船会社での見積書作成業務中、ボリビアやパラグアイから輸出された大豆の輸送資料を見る度、「日系人が作ったのかな」とひそかに想いを馳せていたという。
 そして、今回の式典参加を機にマリさんは、55年ぶりにコロニア・オキナワに戻ってきた。同じ南米大陸にあるとはいえ、半世紀を経て初めて戻る生まれ故郷―。「思い出の場所を訪ねるたびに当時のことを思い出して、感慨深い気持ちになります」と懐かしむ気持ちであちこちの写真を撮っていたのだと説明した。(続く、島田莉奈記者)

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