ボリビアにあるオキナワ=小さな村の壮大な歴史=(終わり、10)移民のグローバルさを体感

成美さん(右)と親戚の皆さん

 コロニア・オキナワ第一移住地出身の比嘉成美さん(30歳・3世)は、3年前から米国ニューヨークの日系不動産会社に勤めている。毎年1度は帰郷し、実家の農業の手伝いをしているという。
 成美さんは幼い頃から家族や友人と日本語で会話をしていたため、流暢な日本語が話せ、「コロニアの私の世代はみんな日本語を話しますよ」という。勤務先の同僚は現地在住日本人で、仕事の7割を日本語でこなしている。週7日勤務という多忙さだが、「責任ある仕事ができ、充実した生活を送っている」と話す。
 学生時代は沖縄県費留学やインターン、「世界のウチナーンチュ大会」参加など、母県沖縄と積極的に関わってきた。成美さんは「ウチナーンチュ大会は一生の思い出。両親や学校の後輩たちも参加しましたが、南米以外のハワイやロサンゼルスから何千人も来ていて、壮大な同窓会のようでした」と振り返る。
 ウチナーンチュ大会参加者や夢を追いかけ頑張っている地元の同級生の姿に触発され、自身も目標を持って生きることを決意。日本的サービス精神に感銘を受けた経験から、学校卒業後は日系航空企業の客室乗務員を目指した。目標実現のため、カナダへ語学留学に行くなどもした。
 しかし折悪く、就職活動時期とコロナ禍が重なり、志望していた航空業界、旅行業界の求人は縮小。あえなく客室乗務員の夢は断念した。その一方で自身の多言語能力や多文化経験を活かせる今の職場に出会うことが出来た。
 式典や祝賀会中は、祖父母に寄り添い、優しく手助けをしていた成美さん。祖父は本連載2回目で紹介した比嘉敬光さんだ。敬光さんの父はフィリピン開拓事業に携わり、敬光さんも7歳まで同地で暮らした。2015年、沖縄県系青年団体が国際的に連携し、「第4回世界若者ウチナーンチュ大会」をフィリピンで開催した際、成美さんも参加した。
 参加前、敬光さんから「フィリピン顔してるからきっと地元の人と間違えられるぞ」と言われたが、現地に着くと本当にタガログ語で話しかけられ、驚いたという。ニューヨークでもフィリピン人に間違えられることがあるそうだ。
 敬光さんらはボリビア移住後、まったくのジャングルだった現地を開拓し、コロニア・オキナワの礎を築いてきた。祖父母の苦労を知る成美さんは「おじいから弱音を聞いたことがありません。おじいは最強です」と尊敬の念を隠さない。
 そして「いつかコロニアに戻って、ひいおじいちゃんの代から続いている畑を継ぎたい。日本とボリビアの架け橋になりたい」と語る。
 戦後移住地だけに、ここには1世からグローバル化した2世、3世までが共存している。コロニア・オキナワは本当に小さい村だが、人の動きは実に壮大だ――。「何気ない移民という存在の驚くほどのグローバルさ」を体感できる場所といえる。今後も「伝承」と「進化」をし続けるコロニア・オキナワであって欲しい、そう思った。(島田莉奈記者、終り)

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