そんなことをした人間は、今まで一人もいなかった。何かに憑かれたような働き振りだったが、初めは、無謀で無益な行為のように見えた。
樹は生きていた。
毎日毎日、運平に見られていると、樹はそれぞれのことを彼にうったえるようになった。彼は広大なコーヒー園の一本一本を知り尽した。正確な判断を即座にくだせるようになった。いつの間にか、ブラジル人たちも彼を「セニョール」と呼ぶようになった。朝は誰よりも早く起き寝るまで仕事をした。そうやって二年が過ぎた。
… … ひどく長い二年だった。人々の生活はだんだん楽になっていた。しかし、儲けて日本へ帰るにはまだ程遠い。コーヒーを受持つかたわらに雑役に出たり間作に精出したり、日曜も休まず働いて、どうにか僅かずつ貯えが出来始めた程度だった。
夢中で働きながらも、後続の移民はいつ来るのだろうと人々は思い続けていた。もう来ないのではないか、というあきらめと、いやきっと来るという希望が綾なしていたが日がたつにつれて絶望の色が濃くなった。
もう誰も来ないのだ、というあきらめが人々の心を領した。
或る日、電報が来た。上塚周平からだった。
「イミン九〇九ニン、コウベシュッパツス。スグオイデコウ」
何度も何度も読み返しながら、電文を持つ運平の手がふるえていた。
彼は馬に飛び乗ると、激しくムチを当てた。
「新移民が来るぞー!」
農道を疾駆しながら、唇をふるわせて呼びかけた。
枝にビッシリと青いコーヒーの実が成っている。その中の幾つかは早くも赤く色付き始めていた。
樹の蔭からバラバラと日本人たちが飛び出して走り去る馬と人に向って喊声をあげた。労働と栄養のバランスがとれないので、人々はめっきり痩せていた。医者が診ればい〈慢性の栄養失調〉と言ったにちがいない。
晩秋の青い空の下を、運平は一気に丘の頂きまで馬を駈けた。しとどの汗が馬の首を濡らす。
コーヒー園の中で此処が一番高かった。かなりの急坂で労働者泣かせの難所だった。だが、眺望は素晴らしい。
眼下に労働者住宅の三つの群れがある。日本人たちは一番高い処を「奥村」と呼んでいた。次の住宅群は「サンパウロ」水の便が良いので、便利だからサンパウロだ。