小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=44

 その下に「山羊町」があった。山羊町から平坦になり、ずっと向うに百軒長屋が幾つも重なっていた。その辺が農場の中心だった。百軒長屋の右手に本部の施設が見えた。
 それらの施設のはるか向うに、リンコン河のゆったりした流れの一部が光っていた。
 運平は丘の頂きに馬をとめて、景色を眺めた。すっかり馴染めず心細く感じたのだったが、今ではこの拡がりが快かった。針の一点のような自己の存在が、この風景の全てと緊密に繋がっている実感にあった。
 彼は肩の重荷が降りたような明るい表情をしていた。
 思えば、この二年は苦しかった。破格の昇格は負担すぎた。サルトリオの信頼に応えるというより、むしろ、新来の日本人がバカにされない為に背のびして精一杯に生きて来た。
 ウンペー(一本足)とからかわれる度に腹を立てて、自分の名を「かずへい」と呼ばせ、サインもC.Hiranoとした。
 視界の彼方にフォードの赤いボディがきらめいた。運平は「チャッ」と舌打ちした。馬は主人の意図通りに丘を降りた。
 駆けてくる馬を認めてサルトリオは車を停めて待っていた。
「いよいよ移民がやって来ます」
「そうか。何人来る」
「九〇九人」
「よし、ヒラノ、全部連れて来い」
「はい」
 二人は笑った。
 「今夜は前祝いだ。私の家で食事するように。イノウエも連れて来なさい」
 サルトリオは言ってギャーを入れた。
 破産した皇国殖民会杜はブラジル側と契約した権利一切を、土佐の竹村与右衛門へ譲渡した。
 竹村殖民商館が仕立てた旅順丸は、明治四十三年(一九一〇)六月にサントスに入港した。運平は井上馬太郎を伴ってサントスへ迎えに行った。竹村殖民商館のブラジル代理人は上塚周平がなった。配耕の実務は鈴木貞次郎だった。
「鈴木くん。全部うちへ廻してくれ」
「無茶言うなよ。十七の農場から申し込みがある。均等配分しないと州政府にどやされるぜ」
 鈴木は首を振りながらも、結局グァタパラへ二百三十三人廻してくれた。失敗のあとを受けた再開だけに、関係者たちは薄氷を踏む思いだった。それだけに実績のある安定したグァタパラへ、他農場の不平を覚悟で、大量の移民を配耕したのだった。

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