小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=45

 第三回、第四回、第五回‥…とグァタパラ農場は日本移民を吸収し続けた。
 グァタパラは賑やかになった。運平を中心にした小王国のようだった。長屋を二つぶち抜いてお寺ができた。
 僧侶はいなかったが勝手に「西本願寺」ということにして冠婚葬儀はそこでした。日本語学校もつくった。若者たちはブラジル学校の夜学に行くように強制された。カトリックの神父の妹が先生だったから外人の女はキレイだと家長たちもABCを習いに行った。元旦、天長節、四季の祭り、運動会…‥祖国の行事は全て再現した。
 運平は超人的に働き続けた。
 採集期になると、枝を叩いて実を落す者がいる。木が痛むので農場では厳禁していたが、あとで証拠を発見するのはむずかしい。東の空が明るんで、白い息を吐きながら労働者が畑に来る。あたりには誰もいない。しごくのは面倒だから枝を叩く。すると向うの樹株の暗がりから黒い影がむっくりと起き、
「オーッ」
 と叫ぶのだった。
 運平である。決して叱らなかったが、相手は今まで副支配人に見詰められていたかと思うとゾッと縮み上った。
 昼間、二百十一万本の畑を見廻る習慣はすてなかった。
 夜になると監督たちから労働者の出来高の報告を受ける。書記が横で次々に帳簿に記入した。
 日曜日に売店に人々が食料や日用品の買い物に来る。
 ツケだから、間違いや思い違いが生じないように、運平は書記を連れて午後遅くまで立ち会った。一週間、働き通しだった。
 移民たちの収入も増え、一年で渡航費分だけは稼げるまでになった。

 彼はすでに日系社会の名士だった。日本の政治家や新聞記者がブラジルを訪れると、グァタパラ農場を視察するのがおきまりのコースになった。畑中仙次郎や北村政吉など外語学校の後輩も彼を慕って集った。実弟の榛葉彦平も来た。今夜飲もう、といえば、たちまち気の合った若者たちが集った。
 第二回移民の山口県出身者の中川誠一に、イサノという十七才の妹がいた。美しい娘だった。
 運平は彼女に家事をしてもらった。二人の仲は公然の秘密になった。

最新記事