日本人労働者をすっかり気に入っているサルトリオだった。しかし、実際に日本人を動かすのは運平なのだった。
彼にしてみれば、恩人に尽すのは当然だった。しかもサルトリオは彼がコーヒー園主になる道まで開けてくれるというのだった。
〈コーヒー園主〉…。彼は胸の裡で呟いた。遠い遠い夢だと思っていた。雇人たちには目もくれず段は町に住んでこの国の政治まで牛耳っている〝農場主〟たち……。
それをサルトリオは協力の条件として、最短距離の太い線で運平に結びつけて提示してくれたのだった。大農場の総支配人を勤めあげたサルトリオが見込み違いをする筈がなかった。また、嘘を言うはずもない。
運平の背後には数百人の日本人が力として存在しているのだった。
「ファゼンデイロ…」
急なショックで運平はボンヤリと呟いた。
考え抜いた末の落ち着いた微笑でサルトリオは頼もしそうに運平を見た。
「わしの娘を貰ってくれるといいがね」さり気なくそう言った。
「君に若い娘がいることは知っている。若いうちはいいさ。それとも、やはりジャボネーザの方がいいかね」
「スペイン女がいいです」
苦しまざれに運平は答えた。
「えっ、それは困った。イタリヤ人の娘はイタリヤーナだからね」
サルトリオは笑ってそのことはそれ以上言わなかった。
サンパウロ市に日本帝国総領事館が正式に開設されたのは大正四年(一九一五)七月のことであるが、事実上の業務は前年の九月から開始されていた。リオ州ペトロポリスの公使館より、首席書記官兼総領事松村貞雄がサンパウロ出張所へ着任したのだった。