小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=48

 サンパウロ州の日本人は一万人を越していた。その連絡中心地はサンパウロ市である。小さいながら日本人社会が誕生していた。
 赴任した松村は各方面の日本人と精力的に接触した。 
 といっても、古株の藤崎商店の後藤武夫を中心に小さくまとまった社会である。後藤が紹介する人物に会えばいい訳だった。
出張所の家具も後藤が競売所で買い込んで来たのだった。
所用でサンパウロ市に来た運平が松村に会ったのは、総領事が赴任した約一ヵ月後のことである。
「松村だが、会いたい」
 とホテルに電話が掛ってきた。後藤に聞いたらしかった。
 出張所があるアウグスタ街は、ホテルから歩いて三十分ほどの距離だった。すぐお伺いすると答えた運平は、馬車にもタキシーにも乗らず、歩いて行くことにした。
 久し振りに都会に出てくると、街のたたずまいが新鮮に目に映じた。裾が石畳を曳くほど長い、女たちの服装も田舎では見られない。
 イギリス地の純毛の三つ揃いの背広を着て、白いカラーをぴんと立てた運平は楽しみながらゆっくり街を歩いた。八月だった。春は間近かに迫まっていたが、高原のサンパウロ市はまだうすら寒かった。しかし、高揚した気分にこの寒さは反って気持よかった。
 平野運平は二十八才だった。この国に来て六年たっていた。
 丁度六年前の今頃、上塚周平がよろめきながら現われて、涙を流した。どこを向いても不満と暴動が渦巻いていた。周平に懇願されて、彼は移民たちを押えるのに無我夢中の日を過した。……それが今では、名実ともに大農場の副支配人であり総監督だった。人間の一生とまではいわないにしても、ここ数年の生活の変りようは振り返ってみると、夢のようだった。

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