小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=49

 上塚周平は前年に移民会社の代理人を辞めて日本へ帰った。通訳五人男ともてはやされた仲間たちも遂に芽が出なかった。仁平は肺を病んで日本へ帰った。結婚したばかりの新妻を連れて帰る金もなく、独りで咳をしながら船に乗った。
 語学の天才を自ら任じた加藤も浪々の身となったまま定職といえるものもなく賭博にうさを晴らしているらしかった。大野は何とか成功しようとあがいて、次第に山師的な仕事に深入りしていた。ブラジルで生まれた女の子も鉄道工事監督で奥地に行ったときにマラリアにかかって、まもなく死なした。嶺はリオに行って商店員となったが、またサンパウロに戻ってブラブラしている。
 なぜか彼だけが成功者だった。農繁期には千五百人の人間を使いこなしている。彼の小柄な五体から自信と精気が発散していた。どこへ行っても「グァタパラのヒラノ」で通るのだ。今夜飲もうと伝えれば、何十キロも馬を飛ばして仲間が集まった。家に帰ればイサノがひっそりと待っていてくれた。
 これからサルトリオの新事業に加わって、四年たてば彼も優雅なコーヒー園主だった。弟や支配人に農場をまかせて、ぶらりとヨーロッパ旅行をするのも夢ではない。
 コーヒー園主の息子たちはヨーロッパに留学するのが普通だった。あと十年もすれば彼にそういう生活が待っているのは、ほとんど確実である。サルトリオが、そして運平自身が、コーヒー園の経営に失敗するなど、起こりようがないことだった。
 アウグスタ街のゆるやかな坂の途中に、総領事館があった。白大理石の円型階段が前面に張り出した瀟洒な二階家である。
名を告げると館員が応接室へ通した。正面の菊の紋章の黄金色が目を射った。
「すぐ総領事は来られます」
 一礼して館員は部屋を出た。
 運平は背筋を正して、菊の紋を仰いだ。祖国を出て初めて見る菊の紋はひどく彼を厳粛な気持にさせた。

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