日本国の政治の頂点に立つ内閣総理大臣に、鳥取県出身の石破茂氏が就任したことは、今まで大物の政治家が出ていない鳥取県に於いては、歓喜に沸き返る出来事だったことでしょう。ブラジルに在住の鳥取県人および県系人にとっても同様で、喜んだ人も多かったでしょう。
思い起こせば、石破氏との出会いは、ブラジル日本移民80周年(1988年)の慶祝団としてきたブラキチの一人として有名な渡辺美智雄衆議院議員のかばん持ちとして同行していた、当時まだ1年生議員だった同氏と意気投合した時でした。
当時の慶祝団はまだ時間の余裕があり、サンパウロの夜の街を一緒に飲み歩いたことを懐かしく思い出します。その後、ブラジルから鳥取に帰るたび、数えきれないぐらいお会いしております。
と言いますのも、石破家の鳥取市での住居は、私が生まれ育った家と50メートルほどしか離れておらず、鳥取市上町での、いわば隣組です。私は88歳なので、年代は相当に違いますが、鳥取大学の付属校だった小学校および中学校は同窓でもありました。
私は日本、鳥取に帰省(訪問?)した際には、石破氏の事務所を訪ね、鳥取県人会、県人のことなどを懇談し、また、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)会長時代には、日系社会などについて話題とすることはもちろんですが、どうしても県連主催の「日本祭り」についての話題が中心になりました。
この「日本祭り」については、主催者県連の責任者として、私なりに努力して説明いたしました。当時は、在サンパウロ日本国総領事館が一区画参加していましたが、その程度ではなく、日本国、あるいは日本政府として、いわば「顔が見える」ような形で出展、参加してもらうことをお願いしました。
当時の世耕弘成内閣官房副長官には、安倍首相来伯の際、随行しておられたので、すでに事の一端を話していたこともあり、訪日した際には彼にも陳情要請しました。そして、石破氏へも説明し、支援をお願いした次第でした。その結果かもしれませんが、その後は幾つかの省庁が出展するようになりました。
そして2014年、第17回県連日本祭りには4省2庁が「日本館」として参加し、日本政府としての参加が実現した次第でした。
石破茂氏は、初代の地方創生大臣に就任されたのですが、それにいくらか関連した「日本祭り」への試案として、日本全国の各都道府県の活性化に、いくらかでも役立ち、ブラジルでの日本産品・工芸品などの紹介・販売を行うプランを立て、石破地方創生大臣に示しました。ですが、その時は「検討するべき多くの問題がある」ということで、少なくとも早急には実施できないとのことでした。
ですが、今年7月の日本祭りに合わせて、JICA協力による日本の地方各地の特産品を紹介する「ふるさといいもの展」が初開催されるなどの動きがある中で、この辺の事情をよくご存じの石破総理がこの度誕生されたことは、大変喜ばしいことと感じております。
石破茂氏の謙虚な言動に関心を持つ人も多く、石破氏がよく使う「公平公正」「ルールをきちんと守る政治」なども、彼の人格を良く表わしていましょう。
もちろん彼への異議や批判もあることも承知しております。ですが、石破茂内閣総理大臣に大いに期待し、健勝でのご活躍を祈念し、応援したいと私は思います。