信念曲げず強行突破=秘密裏に始まった電子投票試行

1989年の選挙で使用されたコンピュータを報じる当時の新聞記事(左)とカルロス・プルデンシオ氏(右)(9月30日付G1の記事の一部)
1989年の選挙で使用されたコンピュータを報じる当時の新聞記事(左)とカルロス・プルデンシオ氏(右)(9月30日付G1の記事の一部)

 全国の市長や市議を選ぶ地方選の投票日がいよいよ今週末に迫り、各候補者による集会や討論会、テレビやラジオでの政見放送期間が3日に終了した。選挙戦はクライマックスを迎えている。ブラジルでは1996年の地方選で国内57都市に約7万台の電子投票機を導入した。有権者の約1/3にあたる3200万人以上の投票が、電子投票システムによって集計された。だが、実はこれに先立つ1989年11月15日、南部サンタカタリーナ州ブルスケ市で行われた大統領選の第一回投票において初めてマイクロコンピュータが使用され、これが当地における電子投票の発祥となった。この試みは、当時の市選挙裁判官であったカルロス・プルデンシオ氏によって組織され、選挙におけるテクノロジーの使用禁止を無視し、秘密裏に実行されたという背景を持つという。9月30日付G1(1)が報じた。
 当時、選挙プロセスの様々な段階で不正の報告が多く寄せられており、プルデンシオ氏は手探りで選挙プロセスの改善に取り組んでいた。投票結果集計の迅速化のため、当時はまだ珍しいコンピュータに目をつけたが、導入実現には様々な障壁が立ちはだかった。
 1988年にコンピュータを所持する工場の経営者や企業家に選挙地域裁(TRE)へのコンピュータ貸出を打診したが、ことごとく断られたという。TREの担当者らにはコンピュータ技術への理解がなく、「装置を見たことがないだけでなく、どのように使うのか想像もつかないため、人々は怖がっていた。だが、好奇心を持っていたことも事実だ」とプルデンシオ氏は振り返る。
 それでもプルデンシオ氏は諦めず、兄のロベルト・プルデンシオ氏を説得し、彼の個人用デバイスを借りることに成功。兄は情報を相互接続するために衛星情報も活用したシステムの構築を手伝ってくれたという。
 多くのテストを重ねて完成したシステムを携え、プルデンシオ氏は上司にアイデアを提示したが、再び否定的な反応が返ってきた。だが彼は信念を曲げず、計画を強行することを決め、1989年の第1回投票では373人の有権者がTREの承認なしにコンピュータを使用して投票した。この試みは国内に広まり、最終的には選挙高裁(TSE)の長官がブルスケ市を訪れて「世界における選挙分野の最大の発明」として称賛。この出来事は州内の主要な新聞の見出しを飾り、1990年11月16日付のジアリオ・カタリネンセ紙は、有権者が「候補者の番号を入力するのに、23秒以上かからなかった」と報じた。プルデンシオ氏は現在、「電子投票機の発明者」として、同州議会から認められている。
 電子投票機が登場する前、ブラジルでは20世紀の初頭には木製や布製の投票箱が使用されていた。電子投票機の導入は徐々に進み、1996年には20万人以上の有権者がいる都市で電子投票機が使用され、最終的に2000年には投票プロセスが完全に情報化された。現在では、30以上のセキュリティ層が存在し、暗号化、監査、公的テストなどが行われ、選挙の透明性と信頼性が向上している。

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