小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=53

 線路に添って前と後の視界が利くだけで、細長い帯がすっぽりと原生林の中に埋っているのだった。行手に小さな橋があった。下に川が流れている。
「おお」
 と、叫んで、彼は土手を降りた。水草を掻き分けてゴクゴクと水を飲んだ。それから顔を洗った。
 同じサンパウロ州でもこのノロエステ鉄道線は未開だった。
 バウルーを起点として鉄道が延びている。開拓者や商人たちがかなり這入りはじめている筈だが、どこに入ってしまったのか
しむ心人影もない。森が広過ぎるのだ。
 運平はサンパウロ市から戻った足で、すぐこのノロエステ線に土地選びに来た。思い立ったらすぐ実行しないと気が済まない性質だった。
 バウルー町を根拠に、もう二カ月近くも土地を見て歩いている。いざ始めてみると、土地探しは大変だった。
 森に「売ります」と立札が出ている訳ではない。訊ねようにも住人がいない。地主を探すだけで幾日もかかった。
 やっと逢えても、地権がいいかげんだったりする。ノロエステ鉄道線一帯が将来有望だと教えてくれたのはサルトリオだった。この辺はコーヒー栽培に不適だと思われていたから、大資本家は見むきもしないし、地主も土地を切り売りした。しかしサルトリオのデーターではコーヒーは育つのだ。土地が安いのでサルトリオもここに新園を作りたかったが、住人が少なすぎて労働者が集まらないので断念したのだ。
 運平は、だから、サルトリオと一緒にこの沿線の土地を見て歩いたことがあって、そこをもう一度、独りで歩いているのだった。
 彼のしていることは、サルトリオに対する背信行為かもしれない。
 日本人の将来のために植民地を造る、という理念が、サルトリオを助け自分も農園主になる夢よりも、もっと強く彼をとらえたのだった。人は祖国を離れるといつの間にか愛国者になる。生まれ故郷を懐がそうさせるのであろうか。異郷にいると日本人は誰でも「おいジャポン」としか呼ばれなかった。個人の名は消滅して、おしなべて「日本」としか呼ばれないのだ。日本人であることを意識するなと言う方が無理であった。
 彼は決して民族主義者ではなかった。ただし自分だけの成功を追うには、あまりに囲わりの移民たちの前途が暗すぎたのだ。
 彼の行手が広けた。数軒の家屋が見える。ペンナ駅だった。駅といっても、汽車は野原の中に停車するだけだった。雑貨店が一軒ある。何十人かのスペイン移民がこの辺に住んでいた。
 馬が駆けて来た。
「オットーさんと連絡がとれました」
 呼んでいるのは道案内を頼んだスペイン人の若者だった。幅広い帽子を伊達にかぶり、首には赤いハンカチを巻いている。彼はもう一頭の馬を連れていた。
 「おう」
 運平はその馬にまたがった。

最新記事