小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=57

第五章

 平野運平と二十名の開拓先発隊がグァタパラ耕地を出発したのは大正四年一九一五)八月一日だった。
 汽車はコーヒー園の中をひたすら走った。申し込みを合計して、一千六百二十アルケールの土地を買った。コーヒーの実の採集が終れば一農年の義務は果たす。十月頃から移住するとしてとりあえず径を作ったり、仮小屋くらいは用意しなければならない。腕っぷしの強そうな青年を選んで先発隊を組織したのだった。
 ノロエステ線との中継駅バウルーで一泊した。ここで必要な品々も整えた。
 翌日早朝、ノロエステ鉄道線に乗った。朝出て翌日戻ってくる隔日運転の汽車だった。砂利が敷いてないからホコリが立つ。後部はホコリがひどいので、改札口を出ると人々は我先きに前へ駆けて行くのだ。
 窓外の風景は一変していた。コーヒー園や牧場やトウモロコシ畑や、およそ人間の営為を示すものは何もなかった。森だけがどこまでも続いていた。そして、冬のノロエステ地方特有の、どこまでも澄み切った青い青い空が拡っていた。その色があまりに青いので、例えば、空に浮んだ一片の雲の白さが、痛いほど目にしみてしまうのだ。しかし、その雲さえめったに浮いてはいなかった。
 この奥深い青さは、乾燥期の森から蒸発する空中の水蒸気の量が、豊富な太陽光線のスペクトルから青だけを抽出するのに最も適した量であるからのようだった。森も、空に拮抗して濃い緑をまとっていた。木々の一つ一つは、種や樹齢を示して微妙にちがっていたが、全体は濃い緑だった。
 森には花が咲いていた。冬から春にかけて種々の木が花をつける時期だった。花は赤か白か黄色だった。風景の中に中間色は存在しなかった。アイマイな色や形はなかった。何も混り合わず、花を含んだ森とまっ青な空だった。
 時々、汽車は停った。停車場といっても、茅ぶきの小屋か木札が停車目標にすぎない。停まるたびに土埃がモウモウと客車を包んだ。停まっている汽車から眺めると、停車場付近の住民は一様にボンヤリした顔付きに見えた。森の住人たちが何故そのように無防備で無知に見えるのか、気負い立った先発隊の青年たちには理解できなかった。ただ、俺たちはあんな風にならないと思うだけだった。
 ペンナ駅に着いたのは昼頃だった。汽車はここで停って、も乗客もゆっくり昼食をするのだった。駅前に雑貨屋が一軒ある。ここに来るのはすでに二度目だから運平は顔馴染になっていた。隊の荷物をあずけサンドイッチで腹ごしらえをしてから、人々は出発した。
 「よし、行くぞ!」

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