相川七瀬来伯「現地で見てみたい」=『夢見る少女じゃいられない』=「マツリダンス」の定番曲に

 1990年代後半の日本で、『夢見る少女じゃいられない』など数々のヒット曲で一世を風靡した歌手の相川七瀬さんが、10月6日から9日まで来伯した。相川さんの名曲は、日本で人気を博した直後からブラジル日系人の間でカラオケ人気曲となり、3世や4世の若年層に盆踊りが継承された「マツリダンス」で、ダンスミュージックとして20年以上歌い踊り継がれている。北はアマゾン地域から各地の日系社会の隅々のお祭りでその曲は楽しまれている。滞在中はサンパウロ各所やマツリダンスの発祥地のパラナ州ロンドリーナを訪問し、現地の人々と交流した。(聞き手・大浦智子)

 デビュー30周年を迎える来年は、日伯修好通商条約130周年の節目にも当たる。プロデューサーの織田哲郎さんと30周年のツアーを計画する中で、ブラジルに行くという機運が高まり、「一度ブラジルの祭りダンスを現地で見て感じてみたい」と長年温めてきた話が実現し、今回の訪伯に至った。
 北パラナの日系青年らによって発明されたマツリダンスは、グルッポ・サンセイが2003年から行うロンドリーナ祭りで特に有名だ。伝統的な盆踊りでは飽き足らない若者たちが、日本の歌謡曲に盆踊りの動きを取り入れた激しい振り付けを考え、舞台の生演奏に合わせて会場の数千人が一斉におどるものだ。

 Q.ブラジルに来られてサンパウロの印象は?
 A.日本では治安面で危険な話を聞かされてきましたが、お陰様で怖い目には合わず、出会った方々に親切にして頂きました。とても活気ある良い街だなという印象です。やはり自分の五感でブラジルを感じられたことは良かったです。
 Q.相川さんの楽曲がブラジルの盆踊りで使用されているのを知った時の印象は?
 A.20年ほど前に初めて映像で見て、私の知っている盆踊りの振りではなく、とてもアグレッシブだったことに驚きました。「地球の裏側で自分の歌で踊ってくれている人たちがいるんだ」と当時から親近感を持ち、一体誰が最初にこの曲で踊ろうと提案してくれたのだろうと、嬉しかったです。
 Q.ロンドリーナでマツリダンスの関係者とどのような話をされましたか?
 A.マツリダンスの創始者グルッポ・サンセイのメンバーに迎えられ、なぜ私の楽曲を使用したのか興味があり尋ねると、「ポジティブでグルーヴ(リズム感やノリ)がブラジルには合う」とのことでした。マツリダンスが誕生したのは盆踊りを次世代に継承するためで、Jポップで踊れば若い世代に受け入れられるのではないかとのアイデアで、最初は『島唄』(THE BOOM)、そして私の『バイバイ。』『夢見る少女じゃいられない』で踊られました。ロンドリーナ祭りでは毎年新しい音楽が踊りに選ばれますが、歌詞まで理解して採用が検討され、私の楽曲は継続して使われてきたと聞いて感動しました。
 Q.ロンドリーナの日系人の皆さんとの交流で何を感じましたか?
 A.パンやケーキまで全て手作りの料理でおもてなししてくださり、今の日本で忘れかけられている手作りのおもてなし文化を見ました。日本社会が置き去ったものが、遠く離れたところに息づいているのに感銘を受け、現地を発つ時には郷土愛なようなものがこみ上げ、また戻りたいという気持ちにかられました。
 Q.2020年に國學院大學神道文化学部に入学して、現在は大学院の博士課程で、祭りの組織、求心力に関する研究を行う他、お祭りを持続可能にするために(社)Culture Plusを設立されていますが、その活動や今後の夢について教えてください。
 A.今回ブラジルには、日本の盆踊りが日本人移民にどのように子孫に伝えられ、どのように変遷されてきているのかと、研究者として興味を持って来ました。
 Culture Plusでは、日本の地方の伝統文化を未来につなげる活動に取り組んでいます。人口減少の進む地方で絶滅がささやかれるお祭りをどのように守り伝えていくかに尽力したいと思っています。
 また音楽に対する情熱が40代に再び戻り、今は音楽を作り、ライブを行うのが本当に楽しく自分らしくやれていて一番充実しています。ブラジルのマツリダンスでは、現地の皆さんがバンドで歌ってこられましたが、私も生で歌ってその熱気の中で一緒に祭りを体感してみたいと思いました。

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