《寄稿》日本にとっての日系人の重要性=改めて問う、その多様性と価値=元ブラジル大使・海外日系人協会理事 梅田邦夫

はじめに

 2024年、日系人に関連して二つの注目すべき出来事があったので、ご紹介したい。現在、日本は人口減少に直面し、この10年間に日本に居住する外国人の人数は急増している。そうした中で、ベトナム人、インドネシア人などに対する関心は年々高くなっているが、日系人に関する関心は低くなっている。日系人の日本にとっての重要性について理解を深め、関心を高めていただければありがたい。

表1=(日本経済新聞社作成)

1 世界の日系人は約500万人

 一つ目は、外務省調査の結果、海外に居住する日系人の総数(除く日本)が、約500万人(2023年10月時点)と24年4月に公表されたことである。外務省が、各大使館に対して調査を指示して集計し、日系人の数や分布に関する詳細な推計を初めて公表した。前回の調査結果(2018年)は約380万人であり、約3割増加した。
 なお、この表には載っていないが、日本には約26万人の日系人が居住しており、世界で3番目に大きい日系社会が存在する。
 ブラジル約270万人、アメリカ約150万人、ペルー約20万人、カナダ約12万人、豪州約10万人、メキシコ約7・9万人、アルゼンチン約6・5万人、英国約2・9万人、ドイツ約2・5万人、フランス約2・5万人、韓国約2・2万人、ミクロネシア約2万人、ボリビア約1・3万人、フィリピン約1・3万人、ニュージランド約1・2万人、パラグアイ約1万人、スイス約7・1千人、スゥエーデン約7千人、台湾約6900人、イタリア約6400人、インドネシア約6400人、中国約5300人、パラオ約5千人、シンガポール約4500人、スペイン約4400人、マーシャル約4200人等。
(注)この統計では、1868年以降北米や中南米に移住して世代を重ねている方に加え、日本国籍の有無にかかわらず、日本人の血統を引き、永住目的で海外に居住している方を含む。
 この資料で注目すべきことは、日系人は、アフリカを除く世界中に居住していることである。この価値ある調査は外務省領事局が実施した。他方、外務省やJICAは、中南米や北米の移住者について、移住の歴史や各国における活動等をフォローしているが、世界全体(日本含む)の日系社会を横断的に見て、どのように連携を強化すべきかなどを考えている人や部署はない。私自身、20―23年の3年間、外務省参与(中南米日系社会との連携担当大使)を務めたが、担当はブラジルやペルー等の中南米日系社会であった。
 人数からいって中南米・北米地域が中心にならざるを得ないとはいえ、世界に散らばる日系社会は我が国にとって、貴重な「外交資産」である。また、国際情勢が歴史的転換期を迎えているなか、例えば、大洋州や南シナ海を取りまく国々は、米中覇権争いの最前線でもある。日系社会との連携の在り方を「グローバルな視点で横断的に」考える人や部署がないことは、非常に「もったいない」と考えられる。

注目すべき南太平洋や東南アジア、欧州の日系人

中村國雄第6代パラオ共和国大統領(中華民國總統府, Attribution, via Wikimedia Commons)

 横浜の「JICA移住資料館」の展示、「海外日系人協会」の関連資料では、北米・中南米以外の日系人については触れられていない。是非、南太平洋や東南アジア、ヨーロッパの日系人にも関心を払っていただき、展示内容にも改善をお願いしたい。
 現役時代に赴任などしたこともあり、北米・中南米に加え、戦前日本人が出稼ぎに行っていたフィリピン、日本軍が駐留していたインドネシア及びベトナムなどには日系人がおられることは承知していたものの、南太平洋のミクロネシア、パラオ、マーシャルの3カ国では、人口の約20%近くが日系人とは知らなかった。
 23年5月、外務省の依頼を受けて、福島原発「処理水」の根回しで、パラオとマーシャルに訪問した際、パラオの首相は、日本を信頼しており、日本を支持すると述べ、同席した外務大臣は日系人の方であった。また、マーシャルでは11人の閣僚中、7名が日系人であると知り、とても驚いた。
 戦前、これら3カ国は、日本が国際連盟の信託統治を受けていた地域であるが、この3カ国でこれまでに7名の日系人大統領が誕生している。なお、これらの国では日本大使館と日系社会との関係は緊密である。
 豪州や欧州においては、婚姻を通じて各国に住み、子供を育てている方が多いと思われる。これらの方の存在は、日本にとって重要な「外交資産」として意識されていない可能性があるが、例えば、パリ五輪BMXレーシング・金メダリスト・榊原サヤ(豪州)、スケートボード女子パーク決勝で金メダルと獲得したアリサ・トルー(オーストラリア)、銅メダルを獲得したスカイ・ブラウン(英国)の母は日本人であった。
 因みに、ブラジルのパリ五輪代表チームには、スケードボード・銅メダリスト・アウグスト・アキオ(日系3世)の他、数名の日系人選手がいた。WBC世界大会で日本チームの一員として活躍したラーズ・ヌートバー選手(米)の母親も日本人であった。

日系人の日本への貢献

 各国の日系人は様々な形で「日本の国益」に貢献してくれている。我々は、この点をよく認識し、日系社会との連携・交流を大切にしなければならないと思う。彼らの貢献を例示したい。
(イ)各国日系社会が持つ「強い信頼」
 各国の日系社会は「強い信頼」を勝ち得ており、「親日感」と「日本への信頼感」を生んでいる。彼らは日本と移住先国との間の大きな「財産」である。
 24年5月ルーラ・ブラジル大統領は岸田総理到着前の日本人記者団とのインタビューで、「ブラジルは世界で最も多くの日本人移民を受け入れており、懸命に働き続けた日系人に対して多くの感謝の念を抱いている。ブラジルが今日のような国になるために、日系人がどれほど貢献したか私たちは知っている」と語った。
 中南米や北米だけでなく、南太平洋諸国などにおいても日系人は、政治・行政、農業、法曹、医学、教育、ホテル・料理店経営などあらゆる分野で活躍している。
 24年9月に逝去されたフジモリ元ペルー大統領が、ペルーの安全回復、人種差別克服に果たした役割はとても大きい。
(ロ)日本文化普及の担い手
 例えば、ブラジル全土には、436の日系団体、380校の日本語学校がある。これらの団体は、日本食、アニメや漫画、日本語や柔道など日本文化の普及に尽力している。他の中南米諸国、北米においても同様である。
(ハ)日本が困難に直面した時の支援
 終戦直後、深刻な物資不足に苦しむ日本に対し、米国の「アジア救済公認団体」(略称LALA)から食料、衣料、医薬品など大量の救援物資(当時の400億円相当)が届けられた。内20%は南北アメリカに居住する日系団体からの寄贈。粉ミルクは学校給食の開始に寄与。
 力強い日本応援団(東日本大震災、熊本地震等の被災者に対し義援金、処理水問題、歴史問題など)。
(ニ)日本が人口減少に苦しむ中、日本の活性化への貢献
 日本には、世界で3番目に大きな日系社会が存在し、過去30年間日本の製造業への貢献は非常に大きい。同時に、個人としてもスポーツ選手・評論家(セルジオ越後など)、宗教家(東本願寺―大谷門首)、大学教授(アンジェロイシ武蔵大学教授等)、経営者(斎藤俊夫など)、弁護士(照屋エイジ等)、行政書士(井手口睦美)、エンジニア(オオルイ・ジョアン)、落語家(らむ音)、美容師等、様々な分野で貢献する人材を輩出している。

2 戦中戦後の日本移民迫害に関するブラジル政府による初の正式謝罪

 二つ目の大きな出来事は、24年7月の「戦中戦後の日本移民迫害に関するブラジル政府による初の正式謝罪」である。これは、日系社会からの長年にわたる要請(補償なし謝罪)に応えたものであり、日本移民史だけでなく、ブラジル近代史においても、画期的であった。
 朝日新聞の関連記事の抜粋は次の通り。
 「南米ブラジルで第2次世界大戦中と戦後に日系移民が迫害された歴史を巡り、過去の人権侵害などを審議するブラジル政府の恩赦委員会が7月25日、首都ブラジリアであった。委員会は「日系移民を迫害したブラジルの過ちを認め、二度とこのようなことが起こらないよう、後世に語り継ぎたい」として、日系社会に謝罪をした。
 ブラジルは大戦中、連合国側につき、日本など枢軸国出身の移民を迫害した。サンパウロ州南部の港町サントスでは43年7月、6500人超の日系移民に対して「スパイ行為」の容疑をかけ、24時間以内に退去するよう命令。移民らは着の身着のままで逃げ、住居や家財道具などの資産を接収される人も多かった。
 戦後の46年には、日本が太平洋戦争で勝ったと思い込んだグループと敗戦を認めたグループが抗争を繰り広げ、日本人20人超が死亡した。この過程で、ブラジルの政治警察は無実の罪で150人超をサンパウロ州東部のアンシエッタ島にある監獄に収監。監獄内では拷問が加えられ、それが元で病気になり死亡した人もいた。
 当事者らは自身の経験を語ってこなかったため、迫害の歴史は日系人の間でもほとんど知られていなかった。だが2012年、映画監督の奥原マリオさん(49歳)がサンパウロ州の真相究明委員会に、過去の迫害を審査するよう請願。委員会は翌年、日系人への迫害を認めて謝罪した。奥原さんはその後、同様の請願を政府の諮問機関である恩赦委員会に行った。
 恩赦委員会は学者などで構成され、審議のほとんどは、1985年まで21年間続いた軍事政権時の被害を救済するケースを扱う。保守のボルソナーロ前政権時は委員会が停滞していたが、2023年に左派のルラ政権に交代してから審査が活発化し、戦後の混乱期にあった迫害についても審査が早く進んだ。

7月25日の恩赦委員会で連邦政府の名において謝罪するアルメイダ委員長

 アルメイダ委員長(ブラジリア大学教授)は7月25日の委員会で、「人権や多様性を尊重するという、本来の国の姿を守ることが大事だ」と指摘。「ブラジルを代表して、あなた方(日系社会)の祖先が受けた迫害、あらゆる蛮行、拷問を謝罪します」と述べた。
【事実関係】
▼1939年9月 第2次世界大戦が始まる
▼41年12月 太平洋戦争が始まる
▼42年1月 ブラジルが日本と国交断絶
▼3月 日本など枢軸国側の移民の資産を凍結する法律制定
▼43年7月 サンパウロ州南部サントスで6500人の日系移民を強制退去
▼46年4月 日系社会で、太平洋戦争に勝ったと思い込んだグループと敗戦を認めたグループによる「勝ち負け抗争」で殺人事件が起き、政治警察が1200人拘束。日の丸や天皇の写真を踏むのを拒んだ人はサンパウロ州東部アンシエッタ島の監獄へ。計172人が収監されたが、150人超は無実の罪。監獄内では拷問も
▼2013年10月 サンパウロ州の真相究明委員会が迫害を認めて謝罪
▼2024年7月 政府の恩赦委員会が迫害を認めて謝罪

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