小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=61

 滂沱とした涙が運平の頬を濡らした。若者たちも泣いた。原始林の開拓に着手しようとする人々が例外なく襲われる、あの不思議な程の感情の高揚を人々は経験したのだった。坐わり込んで草を握りしめて泣きじゃくっている若者もいた。涙をポロポロこぼしながら、空を渡る烏を見上げている者もいた。運平はハンカチを出して鼻をかんだ。
 サルの声がしていた。ホウホウと、フクロウが鳴くような声だった。地上で何かワメいている生物に好奇心をそそられたらしく、ザワザワと枝がゆれると十匹ほどの黒い顔が木の上からこちらを見下した。ヒトを恐しがる様子はなかった。群れはだんだん大きくなり、二百匹くらいのサルが不思議そうに集ってきた。
 運平は枝の上のサルを見上げた。ここはヒトの数よりサルの方が多い、森の世界だった。何が自分を駆り立てて此処へ連れて来たのか……自分でもよく解らない。
 日本人の発展のためだろうか。事業欲だろうか。人の世話を焼くためか。そのどれでもない。いつかはスペインへ行こうと夢みながらも、現実の持つ強い力が彼を否応なく此処へ運んで来た、としか言えないのだった。
 実費で土地を分けるから、様々な費用は自分の懐から払わねばならず割に合わない仕事だった。割に合っても合わなくても、人間は前に向って進まずにはいられない時期があって、彼は今その時にいるようであった。
 ドラードス河と小川の合流点の平坦地に天幕の設営をし、炊事場を作りあたりの木 を一応伐り払ってその日は暮れた。

 翌日から二班に分かれて一班は小屋作り 、一班は荷物の運搬に当った。
原生林に萱の類はほとんどないので、小屋は全てヤシの木でつくった。丸木を柱にして 、割った木を壁や寝床に使う。小屋の真中に通路があり、両 側に並んで寝られるように寝床をつくった。屋根はヤシの葉でふいた 。これらの小屋が入植者たちの収容所になる予定だった。
荷物は駅から背に負って運んだが、往復二日がかりで途中で野宿した。かつげるだけかついで十二キロの山道を蟻のように往復していると、流石の若者たちもアゴをだした。この仕事は三十日続いたのだった。
一週間目には収容所の小屋ができた。天幕はたたんで夜は柱にかかった石油のカンテラの下でくつろぐことができた。冬のせいもあって虫は予想したより少なかったが夜は蚊が少しいた。尻を直立させて血を吸う、動作の速い蚊だった。チクリと痛みを感じて叩こうとするともういなかった。もっともカンテラの朧ろな光では蚊の姿も定かでないのだが。(つづく)

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