バストス市からブラジル和歌山県人会創立70周年記念式典に出席した有名な養鶏農家の薮田修さん(83歳、2世)は、「両親が和歌山県出身なので、今でも県人会を支援していますよ」とほほ笑んだ。県連日本祭りの際、同県人会はお好み焼きを4千枚以上売り上げることで有名だが、それに使う卵は薮田さんが以前から提供している。
「父はすでに亡くなっていましが、1973年に母を吉備町に里帰りさせたとき私も一緒に行きました。まだ母の妹も生きていましたから。昨年の県人会世界大会にも参加し、再び母の実家を尋ねました。51年前にはまだ小さな女の子だった従姉妹が、立派なご婦人になっていて、時代の流れを感じました」としみじみ述べ、「和歌山には深い愛情を感じているので、県人会70周年を心からお祝いした」と喜んだ。
当日、県知事と県議会議長から白寿表彰を受けた99歳、木田田中育代さんに感想を聞くと「日本からわざわざ来て渡していただき、大変ありがたく思いました」と喜んだ。親に連れられて7歳4カ月で渡伯、「小学校1年と半年でした。新宮町の駅前の大通りに住んでいました。とても賑やかだったのを憶えています」とのこと。
「戦争中はバレットスで日本語学校は閉鎖。お姉さんや両親が夜、こっそり日本語を教えてくれました」と思い出す。「でもサンパウロは良い町です。ブラジルに来てよかったですよ」と家族に囲まれて笑顔を浮かべた。