洗濯は河でしたが、岸辺に横たわっていた茶黒色の丸いものをヤシの倒木だと思って足場にしたら、ズルズルと動き出したので気絶した女もいた。向うの草の中から胴の太さの割には小さい鎌首が隆起してこちらを睨んだかどうか?彼女の記憶は定かでない。とにかく、足許の丸太が動き出した瞬間、ヘビの上にいると気付き目前の風景が一回転しながら暗くなり、意識がなくなった。
日本刀を持っていた男もいて、それを振りかざして大蛇と闘う勇ましい場面もあった。もっとも闘かうというのは、後になって酒を飲みながらの本人の表現で、他の人の目には、大蛇が怒って向って来たらすぐ逃げ出す決心が腰を後に突き出して刀を構えた姿勢にありありと現われていたのだが。
獲食――主として水豚――を丸呑みにしたスクリーは脹れた部分を木の枝にかけ、尾と頭を地上の繁みに隠してジッとしていたから目立った。ドラムカンのように脹れた胴を見付けると、男たちは散弾銃をつかんで忍びよった。スクリーが人を襲うことはまずないのだが、家畜に害を与えるし、人とヘビは 相性が悪いというか畑の中に十メートルくらいの大蛇がいるとやはり落着いて仕事もできないのだった。
追々に入植者が増え、八十二家族になると、この湿地帯の一角はそれなりに人間臭くなった。収容所を中心にして思い思いに仮小屋を建てているから外観はさながら乞食の集落のようであるが、豊かな自然に囲まれて途方もない自由があった。
何もない……といえば確かに何もない。無一文に等しい三百人はどの集団が掘立小屋に住んでいるだけだ。だが、あると思えば、此処には何でもある。自然の豊かな内懐に飛び込んだのだ。食物も太陽も水も緑も、自然の恵みは全てあり、心の中には自由も希望もあった。
ドラード河に入る小川は「平野川」と呼ばれるようになった。その小川の真上に小屋をかけたのは文野勝馬である。
「これは涼しくていい」
と自分のアイデアに大満足だった。
小屋の床に穴があいている。勝馬がその上に鎮座すると、平野川の水はほんの暫らく乱れて泡立ったり黄色味を帯びたりした。
「下で水洗いしているときはやらんでくれよなあ」
と文句を言う者もいたが、清冽な流れはたちまち澄んで知らぬ顔だからそれ以上やかましく言う者はいなかった。
文野の小屋の上流に三メートルはどの高さの小滝が懸っていた。米がとれたら精米をするために、そこに水車がつくられた。佗びた水車小屋だったが、ふと祖国の山河をしのびたくなるような風情を開拓地に添えたのだった。(つづく)