小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=67

 運平は洗い終った馬を適当な処につないでおくように頼むと、自分の小屋へ濡れた服を着換えに戻った。
「すごい処だな、兄さん。イサノさんがビックリしてるよ」
彦平が笑った。
「グァタパラのような訳にはいかんさ。当分は此処で辛棒しろ」
 弟にともイサノにともつかずそう言って彼は小屋をでた。
 文野の小屋を覗いて彼はハッと胸をつかれた。専は見違えるほど痩せおとろえていた。まだ四十四才なのに百才の老婆のようだ。死期が迫った人間の姿だった。その隣で馬太郎が脂汗を流しながらうめいている。息子の勝馬も寝ていた。
「どうしたんだ!」
 運平は思わず叫んだ。
「おい勝馬!どうした。しっかりしろ」
 彼は小屋に駆け込んで病人の肩に手をかけた。勝馬は高熱にうなされて意味のはっきりしないうわ言をいっている。
「平野さん……」
 痩せた母親がか細い声で彼の名を呼んだ。
「あんたもどうしたんだ、病気なんかに負けてはいかんわしがついている早く直るんだぞ、早く」
 彼女はうなづいたが、ポロポロ涙をこぼした。
「そんな気の弱いことでどうする。あんたは運動会でわしと二人三脚して一等とったじゃないか。あの元気を出しなさい」
彼女は何度もうなづいたが、一層涙をこぼした。
「何か薬は飲んでいるのか?」
「・・・熱さましを飲んでいます」
「どんなかね」
「私は熱はないのですが頭が痛く息が苦しい‥…うちの人は一日おきにこうやって酷い熱を出しています」
「そうか
 運平は答えたものの、医者でない悲しさにどうしてやったらいいか分らないのだった。
 この女は死ぬかもしれぬー―と彼は思った。  もともと青白いたちではあったが、三カ月前に入植した頃の元気な姿と較べるとウソのように痩せてしまった。彼女たちは第二回移民船旅順丸で来たのだった。一日千秋の想いで船の到着を待ち、サントス港へ彼等を迎えに行った日の感激を運平はまざまざと想い起こすことができる。グァタパラへ配耕された一人一人の顔と名を心に刻むようにして覚え込み一緒に汽車に乗ったのだった。グァタパラに着いて食事を供された時、文野勝馬はコーヒーをショウユと間違えてマカロニにかけた。それがおかしいと、前に坐っていた君由という娘が笑い転げたりした。その娘と勝馬が親しくなり馬太郎や専も息子の結婚を望んだが、十五の娘と二十の若者ではまだ早いと相手の親が承諾しなかった。
女が嫁ぐということは労働力が減ることであった。(つづく)

最新記事