小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=68

 三人家族で一人抜けたら一家の浮沈にかかわる。二人では労働力不足で、まとまった仕事はできないのだ。ただ好き合ったからといって、おいそれと一緒にさせられない運平も馬太郎に頼まれて仲に立ったが話はまとまらなかった。
 その娘の家族も入植している。早く豊かになって息子が結婚できる日を母親も楽しみにしていたのだ。
「早く直ってくれ」
 内心の絶望を隠して、笑顔で言った。
「……」
 彼女の乾いた唇の端を微笑が弱々しく通りすぎた。すっかり白くなってしまった髪が乱れて、山姥のような印象を与えた。
「アッアッ‥‥‥ウッ」
 苦しそうに勝馬がうめいた。
 額に手をあてると酷い熱だった。
「これはいかん」
 彼は小屋の外へ出ると腰の手拭いをとって小川にひたして戻った。絞って病人の額へおいた。
 布の冷たさに反応したのか勝馬が目をひらいた。
「オイ、しっかりしろ」
 顔をのぞき込んだが、ハッキリと視線が定まらぬらしい。高熱にうかされた瞳がボンヤリと動いている。
 暑苦しいのか布団を手でしきりに押しのける。枕を並べて寝ている両親とは対象的に真っ赤な顔をして大粒の汗をかいている。いかにも苦しそうだが、専の真っ青な顔と比べるとまだ生命力が溢れている感じだった。彼女は大儀そうに横たわると、そのまま目を閉じていた。マユを作ろうとしている蚕のように肌の色が白く澄んで、このまま透明になるのかと思われた。頬がこけて痩せ衰えているのに、どことなく腫れぼったい感じもあった。馬太郎は眠っていた。
 運平は三人の苦しみを分け合おうとするようにじっと見守っていた。床下をサラサラと小川が流れる音が絶えずしていた。ホウホウと鳴くサルの声、ギャッギャッと騒がしいオームの群……野生の生物たちの活力にあふれた森の響きが小屋をとり囲いていた。
 微かな羽音が中断すると、チクッと首筋に刺激があるバチッと叩くと掌に血を吸った蚊がつぶされている。昼間はさほどではないが、河べりだけあって夕方になると蚊がひどく多いのだった。河の真上のこの小屋は特に多い。
 草を踏む足音が近づき人の気配が停った。振りむくと広田の妻の光野だった。鍋を下げていた。
「あんたが食事を作っているんか」彼女はうなづいた。
「せいぜい滋養をとらせてやってくれよ。またあとで来よう」
 彼はそう言って外へ出た。森が彼を囲んでいた。(つづく)

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