三方が原の松林を見て育ち、グァタパラの整然たるコーヒー園を見馴れた彼には、熱帯の原生林は乱雑で奇怪な印象を受けるのだった。クネクネとした葛を悪趣味な衣裳のように身にまとい、ヒトをよせつけたがらない不気味な目がその奥の探い処で光っているようだった。
「ここはおれたちの土地だ」
森に挑戦するように運平は宣言して湿った革の上を大股に歩きだした。見回わらなければならない病人があと三人いる。
……彼が歩む先には地獄が口をあけて待っていた。
……二日後、十二月二十九日の夜に文野の妻は死んだ。翌日、入植者たちが集まって野辺送りを済ませた。ありあわせの板で棺を作り枯木のように軽くなってしまった専のなきがらが納められた。香典は二百レース
(約五銭)としたが、集まった香典袋は軽いものが多かった。中を開くと「御香典二百レース。但し、米の収穫後にお払いいたします」と書いた紙切れが入っているのだった。入植して三カ月半。土地代と測量費を払い、道路費を負担した人々の貯えは底をつこうとしていた。何年もコーヒー園で働き金の余裕がある人もいたが、山下永一のように前年の若狭丸で来て一農年の終了と共に入植した家族も多いのだ。現金はおろか食糧も底をつこうとしていた。米の収穫だけが生き延びるための唯一の手掛りだった。
平野川から三百㍍ほど離れた場所を拓いて棺は埋葬された。
今日は勝馬の熱はなかった。不精ヒゲに顔を埋めバサバサの髪をした勝馬は呆けたように棺に土がかけられるのを見ていた。父親は小屋で寝ていた。
広田千代太が、
「姉さん」
と叫んで声を放って泣いた。
「なむあみだぶつ………」
うろ覚えの経文が読まれ、線香の細い煙が伐り倒された木の株にまとわりついた。
雨の切れ間で、青空がのぞき陽が射していた。水蒸気がそこかしこから立ち登り、新らしい墓はムンムンした夏草の刺激的な匂いに包まれていた。明るい森の光景だった。しかし、ほとんどの人々は重苦しい、不安で投げやりな気分にとらわれていた。葬式に参列すれば悲しいのが当然であるが、しかし、それだけではない、精神を蝕むような無力感が不気味なクモの巣のように五体にからんでいた。夜、ケモノの鳴声や木の葉のそよぎが耳について寝られない、と目を充血させて不眠をうったえる女もいた。森に不可思議の領域があって、そこに人間の侵入を拒否する意志=悪意のようなものが存在しているような気が朧ろげながらしてならないのだった。(つづく)