最も近い開業医の在所はバウルーだった。往診というには遠すぎる。数日がかりの旅行だった。札束を積めば来てくれるかもしれないが、札束どころかたった二百レースの香典にも事欠く人々の集団だった。一時間ほどで少年の熱はウソのようになくなった。どうだと訊ねると気分はいいと答えるが流石にぐったりして身動きしなかった。
測量図が完成して届いていたので、翌日は家長たちに集ってもらって地区割りをした。出身県同志で幾つものコンパを作って地積を分割するのである。いま人々が集って米を作っているドラード河畔から順に番号をつけて十八のブロックに分けてあった。番号が若いほど河に近い低地で、だんだん高地になる。人々の感覚では低地で米ができる処が一等地だった。兵庫県のコンパに中心人物の山下永一の姿がなく代りに定一少年がいた。
「おい坊主、今日は熱ないのか?」
運平が訊ねると、少年は首を振って、
「今日は何ともねえ。でも今度は家長が震えてるよ」と答えた。
そういえば欠けた顔が随分ある。かなり寝込んでいるのだ。組分けやら地積の計算などで、その日は抽選をしてブロックを決めるまでにはいかなかった。一等地?の低地を誰もが欲しがっているからである。日本人にとって農地=米作地という観念は抜き難いものだった。ブラジル人がどう思おうが、日本人は米をお宝のように感じるのだった。米ができない土地を買っても満足できなかった。
「佐太郎さんやーい」
岡山組の山本佐太郎を呼ぶ女の声が林の向うでした。
「赤ちゃんが産れそうだよー」
「おっ。そういえば、腹が痛いと言っとった。しぼり腹(アメーバ赤痢)かと思ったからガヤバの葉を煎じて飲ませといたが……」
「産気づいたのとアメーバ赤痢を間違える奴がいるか!早く行け。誰がとり上げるのか」
「なに、誰かいるさね。あいつは今度で二人目だから独りで産むと言っとった。それより土地の割り当てはどうなりますか」
「今日は決めない」と運平が答えた。
「早く行ってやれ」
「おう」
と応えて佐太郎は駆け出した。
(つづく)