小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=74

 その後姿を眺めていると、熊本の門前角平がソワソワして、
 「うちのも、どうも今日産れそうでどわす」と言った。
 「早よう行け!」
 運平が一喝すると、
 「おう」
 と角平も駆け出した。
 「子供作りばかりに精出さず、米も作ってくれよー」後姿に向って誰かが叫ぶと皆は大笑いだ。
 働き手三人以上の家族、単独は不許可、というブラジル移民の資格を得るために夫婦になった若者が多いから三、四年たった今頃はナゼカ女たちのお腹はふくれているのだった。ヨチヨチ歩きの幼児も多かった。
 翌日、留守中のことを弟の彦平や外語の後輩の畑中仙次郎たちにくれぐれも頼んで、運平はサンパウロへ行った。
 サンパウロの薬局でキニーネの値段が高いので驚かされた。三百人の治癒と予防に必要な量は、彼が携えてきた金額ではまるで不足だった。あちこち奔走し、州農務局から大ビン一杯のキニーネを寄付して貰えた。松村総領事も話を聞いて大いに驚き、医術の心得のある者を至急派遣すると約束してくれた。
 キニーネの白い粉末が詰ったビンを大事に抱えて彼がペンナ駅に帰り着いたのは一週後だった。疲れていたがそれ以上に早く薬を届けたかった。駅前にあずけてあった馬にそのまま飛び乗ってムチを当てた。
 寝台車で旅行すると疲れないようだが南京虫が巣喰っているから、反って寝られないことが多い。そうかといって固いベンチに座って長時間揺られていると、体の関節がきしんでくる。
 一度ムチを当てた丈で、径を知っている馬は勝手に走ってくれた。馬は利口な動物だった。主人が居眠りをしていても居酒屋の前でチャンと止る馬さえいるのだった。
 丘を越え、谷をめぐって運平を乗せた馬は細径を駆けた。森に染まって馬の首筋を流れる汗も緑色に光った。
 ドラード河のそばまで行くと、
 「ワン、ワン」
 吠え声がして、愛犬のレオンが尾を振って走って来た。
 「おお、よしよし」
 彼は馬をドラード河に乗り入れ、一気に渡渉した。レオンも泳いでブルブルッと体を振った。大きな犬だった。家の前で馬を止めると、
 「あなた、大変です」
 とイサノが転がるように走り出した。(つづく)

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