ドラード河をはさんだ平地の草原の南側に、森がなだらかな斜面で盛り上っている。草原と森の接点に径がほんの一部ここからも見えた。
その径を通り馴れた運平には、寒苦に身を縮めた弟が今どの辺を荷馬車に揺られているか分るのだった。あの第三の廃屋を過ぎて、木の根を敷きつめたような上り坂の難所を通っているにちがいない。馬のあえぐ息や、馬をはげます畑中の芦、木の枝が荷馬車をこすって跳ね返るざわめきなどが聞えそうだった。
やや南に寄った中央に真夏の太陽がギラギラと輝いていた。その暑さに圧倒されたように昼さがりの森は静かだった。日蔭でじっとしていれば涼しいが、戸外でちょっとでも体を動かすと夥しい汗が流れた。そ れも砂漠の川のように、数センチ肌を伝わるうちに蒸発してザラザラした塩分だけになってしまう。こんな暑い処で寒さにふるえるのか、いくら病気とはいえ、不思議だった。
運平は長靴をはいて草の中をまっすぐに謙蔵の小屋を目指した。
草いきれの中に小屋はあった。声をかけたが無人のようだった。彼は内をのぞいた。ヤシの木の寝台の上に赤ん坊がスヤスヤ眠っていた。
彼は入って赤ん坊を眺めた。真っ赤なクシャクシャの顔をしていた。美人になるかどうか、まだ見当はつかない。どんな名前をつけてやろうか、と彼は考えながら小さな生命を見守っていた。両親は畑の開拓に出かけているのだろう。午後の森は静まって物音一つしなかった。
〈そうだ〉
彼は微笑してペンと紙を出すと
荒木静加大正五年一月二日生レと書いて、枕元にそっとおいた。
三十才の女と三十三才の男が初めて得た子だった。二人とも目の中に入れても、という可愛がりようをしているにちがいない。
いい名だ、と運平は満足して立ち去ろうとした。赤ん坊の顔に尾を高々と上げて、針が刺ったように細く蚊がとまっていた。彼はいきなり蚊を叩いた。赤ん坊はウエーンウエーンと泣き始めた。
「おお、よしよし。泣くな。小父ちゃんが悪かった」
再び寝入るまで彼は辛棒強く静加をあやした。
松村総領事が八方手を尽してくれた医術に心得のある日本人が一月の下旬に着いた。戸田義雄と名乗り、妻と妻の弟妹二人の四人連れだった。
それを見て運平は眉をひそめた。入植者八十二家族の大半、つまり百五十人以上がマラリヤにかかって倒れている。そこへ家族を連れて来るのは無謀に思えたからだ。(つづく)