しかし、話をしてみると戸田は気さくな男だった。陸軍で看護卒をしていた経験があり、コーヒー農園を出てサンパウロでモグリの歯科医を開業するべく器具を買ったが、借金でどうにもならず弱っていた処に、松村総領事の話を人伝えに聞いて都落ちを志願してやって来ましたと言った。従って、家族を置いて単身で来るという訳にはいかないと言う。
松村総領事のポケットマネーから何がしか出ているにせよ、運平も医師としての報酬を払うなどとても出来ない相談だから、危険だとは思ながら戸田の家族全員の移住を認めざるを得なかった。戸田は家族と共に畑をたがやしながら、マラリヤの治療に当ると張切っていた。しかし、マラリヤについての知識はゼロだと告白した。運平は大いに落胆したが、考えてみると日本人でマラリヤの事を知っている人間はいないのである。
「マラリヤは怖いですよ。やられないように気を付けてください」
運平が案じて忠告をすると、
「マラリヤも怖いでしょうが、私には借金とりの方が恐しいのです。私がマラリヤの流行している処へ隠れれば今度は借金とりがこわがってもう追ってはこんでしょう。今夜からはやっと安心して寝れます」
そう言った戸田は嬉しそうに笑った。
世の中は広い、と運平は感心した。借金とりとマラリヤと天秤にかけて身の振り方を決める人もいるのだ。
そんなことを言ってもいざマラリヤの病人を見たら驚いて逃げだすかと思ったが、元看護卒だけのことはあって戸田は平気な顔で小まめに働きだした。
「毎日熱」で唸っている山下永一元少尉の小屋からチャッカリと陸軍将校用のマントと長靴を借りだして、威風堂々と馬に乗って巡回した。北支あたりならいざ知らずこの暑いのにマントと長靴を身につけている戸田を見て、運平はびっくりした。戸田は行き交う人に馬上から将校風の肩の力を抜いた敬礼をして馬を進めている。看護卒として日清戦争で軍医の馬のあとを駆けずり回っていた戸田は、ブラジルでやっと将校になる夢が叶ったらしかった。馬上の戸田を見送る運平の呆気にとられた顔にやがて微笑が浮んだ。
一月三十日に久保友一の妻のフジヨが死んだ。二十九才だった。
(つづく)