酷暑の二月になると野火が猛るようにマラリヤは激しくなった。マラリヤ蚊は雨期と乾期の境い目に最も跳梁する。あまり水量が多いとボーフラが流されてしまうし乾期で水たまりが絶無でも育たない。雨期の名残りの水たまりがあちこちにある今こそ、マラリヤの病原虫を体中に持ったアノフエレス蚊が繁殖し跳梁する最盛期だった。濁り水にも産卵する普通の蚊とちがい、アノフエレスは澄んだ溜り水に産卵する。濁ることを知らない原始林の沼や水溜りは、だからアノフエレスにとって楽園なのだ。
キニーネさえあれば、と思ったが、燃え上った火の手にバケツで水をかけるように、キニーネの効果はマラリヤの矯激をくいとめ得なかった。体が衰弱して、キニーネを与えても吐いてしまう患者も多い。ようやく飲んでも、弱り切った心臓や肝臓が強い薬の副作用に堪えられないのでもあった。
食物を買う金が残っている家族も少なかった。芋粥かスイトンをすすれば良い方だった。稲は青い穂をつけはじめていた。もうじき米がとれる、何とかそれまで持ちこたえれば弱った体も栄養がとれる、と人々は歯を食いしばって熱に堪えようとした。「毎日熟」でなく「三日熱」「四日熱」のはっきりした症状の場合は震えない日は畑に出た。鍬を振り上げると体がふらつく。それが熱のためか空腹のせいかの区別もつかないのだった。
二月二十四日にイサノの姉のヨシノが女の子を産んだブラジルに着いてすぐ男の子を産んでいてこれが二人目だった。富子と名付けた。イサノは朝から手伝いに行っていたが、産まれたという報せで運平も見舞いに行った。
近くの上野トモエや山本あいのも臨月の大きなお腹をかかえて手伝いに来ていた。彼女たちの夫の上野庄平も山本順治もマラリヤで寝込んでいた。もう二人産んだトモエはそうでもなかったが、初産のあいのは、「産まれそうになったら、どうしたらいいだろう」としきりに心細がっていた。夫の看護をしながら独りで赤ん坊を産み、畑へも行かなければならないのだった。産婆がいないから夫がとり上げるのに、その夫が寝込んでいるのだ。
「あたしが付いている」
とトモエは慰めていたが、ほとんど同じ日に産まれそうだった。
「あたしのお産は軽いから、産みながらあんたを手伝ってやる」
とトモエは勇ましいことを言った。
(つづく)