「イサノ、お前が行ってやれ」と、運平が言うと、
「ええ」
と答えたが、二十才になったばかりの子を産んだことのない彼女は不安そうにうつむいた。
この子が育つように運平は心で念じて小屋を出た。
その足で、彼は静加の小屋へ見舞いに行った。静加が生れてから、両親とも倒れてしまった。
大きなジヤトバの木が亭々とそびえている。その下に荒木謙蔵の小屋がある。風が渡っていた。梢がやわらかに鳴っていた。本来なら、貧しいが希望にみちた平和な生活があってよい小屋だった。
「入るよ」
声をかけて運平は中へ入った。
「ああ、平野さん……」細い女の声が応えた。
静加の母のクノだった。数日前に見たときに比べて一段と彼女は衰えていた。夫の謙蔵は真っ赤な顔をして汗をかいていた。
運平はハンカチを出して謙蔵の額の汗を拭いた。発熱の最中で意識が混濁しているようだった。静加は生後二カ月たっているのに、名を付けてやった日よりも縮んでいるようだった。細い枯枝のような小さな手を突き出してしきりに訴えるように泣いた。
「よし、よし」
クノはようやく寝返りをうつと、乳房を出した。三十才の女盛りの筈なのに古い木の根のように萎び切っていた静加は生命力のありたけを出して乳首にかじり付いたがすぐに泣きだした。
「お乳が出ないのです。この子がお腹を空かしているのに、一滴もお乳が出ないのです」
クノはそう言って口惜そうに涙をこぼした。
小麦粉をうすくといて煮た汁を与えているが、静加は嫌がって仲々飲もうとしないという。
「私はもう駄目です。生きていく力がなくなったのが自分で分ります。でも、この子が可哀そうで死んでも死にきれない。平野さん、お願いです、何とかこの子を助けてください」
クノは泣きながら両手を合わせて運平を拝んだ。彼女は胸をはだけたままだった。痺せ衰えた女の半裸身から一種の凄烈な美が漂っていた。
「そんな弱気でどうする。すぐ米がとれる。米の汁を飲ませたら、静加は元気に育つ。あんたもだ。バカな事を考えるな」
そう叱りながらたまらなくなって、彼は小屋を飛びだして畑へ走った。稲はもう穂をつけていた。それを千切ってつぶすと、白い汁がでた。だがモミを白く染めるだけで汁だけを集めるほどの量はなかった。彼は気違いのようにあちこちの稲から穂を千切ってはつぶした。
空しい努力だった。