在伯青森県人会(渋川名和幸子マリア会長)は10月20日午前10時から、「在伯青森県人会創立70周年記念式典」をサンパウロ市リベルダーデ区の宮城県人会館で行った。青森県からは、小谷知也青森県副知事(和歌山県・45歳)や丸井裕県議長(青森県十和田市・67歳)、青森県市長会からむつ市市長の山本知也氏(青森県むつ市・41歳)、青森県民間団体代表の「東奥日報社」の釆田正之取締役社長(青森県・66歳)など9人が来伯した。在サンパウロ日本国総領事の清水享氏やブラジル日本都道府県人会連合会の谷口ジョゼ会長なども出席した他、サンタカタリーナ州サンジョアキン市で「ふじりんご」農園を営む平上文雄氏も出席し、総勢約200人で盛大に県人会の節目の年を祝った。
会場には、母県弘前市名物「金魚ねぷた」が装飾され、各テーブルには「ねぷた」の写真をあしらった装飾と平上さんの畑でとれた「ふじりんご」などが設置され、会場全体で青森県が表現された。
式典では、日伯両国歌斉唱が行われた後、先亡者へ1分間の黙とうが捧げられた。
挨拶に立った渋川会長(2世・78歳)は「このたびは日本からはるばるお越しいただき誠にありがとうございます。この記念すべき節目を無事迎えることが出来たのは、これまで支えてくださった母県、先人、県人会関係者のおかげです。この式典では県人会に関係する若い世代に、日本そして母県にルーツがあることを実感していただきたい。また日本の慶祝団の皆様には、ブラジルを感じていただきたいと思います」と述べた。
小谷副県知事は「在伯青森県人会70周年を心からお祝い申し上げます。創立から今日に至るまで、多くの困難を乗り越えてブラジルで信頼を勝ち取り、様々な分野でブラジルの発展に貢献している方々は母県にとっての誇りです。また、1954年創立以来から現在も日伯の架け橋として活発に活動していただいていることに心から感謝いたします」と祝辞を述べた。
丸井議長は、「70周年を迎えられたことに心からお祝い申し上げます。青森県出身者の心の拠り所としてブラジル青森県人会が創立され、創立当初から現在に至るまで数々の信頼と功績を積み上げてきた県人会の存在は青森県の誇り。また、私自身、今回活気溢れる日系社会を目の当たりにしてブラジルと日本の強い絆を再認識しております」と述べた。
山本むつ市市長は、青森県市長会会長の西秀記氏の祝辞メッセージを代読し「今回の盛大な節目が新たな出発点として青森と県人会の交流がさらに盛んになることを期待しております」と述べた。
今回は、東奥日報社の釆田取締役社長も祝辞の挨拶を行った。東奥日報社はブラジルとゆかりが深く、同社は1975年に有志を集めて、在伯青森県人を支援する為、「青森県日伯協会」を設立した。当時、設立前から訪伯経験があった同社第9代社長の山本省一氏が同協会初代会長に就任した。
釆田社長は、「70周年の節目おめでとうございます。日本人のブラジル移住が始まるその10年前の1897年に青森県弘前市出身の故・珍田捨巳氏がブラジル日本公使館の初代公使として着任されたことからブラジルと青森県は固く深い絆があることを感じております」と述べた。
その後、高齢者表彰、功労者表彰や記念品贈呈交換、研修生代表し清藤・富田・サンドラ・ルリコ氏による母県への感謝のスピーチなどが行われた。また、渋川会長と平上氏からブラジルのりんごの中でも一番人気の高い「ふじりんご」の歴史も紹介された。
式典後は、鏡割りと乾杯、記念ケーキカットが行われた。そして祝賀会アトラクションでは、県人会からは、ビデオでの青森県の三内丸山遺跡の紹介やコッペデひろみ同県人会副会長による母県弘前市伝統工芸品「金魚ねぷた」の紹介が行われ、津軽三味線奏者のマテウス・ビテンクウ・オリベイラさんによる演奏、ブラジル北部の伝統的なダンス「Folclore danca」なども披露された。
また、日本の慶祝団は、東奥日報の釆田社長が吉幾三の曲「雪國」を、そして青森県庁グループはThe Boomの曲「風になりたい」の歌唱を披露した。
そして、むつ市の伝統踊り「おしまこ流れ踊り」を山本むつ市長と渋川会長らが来場者を巻き込み参加者一同で盛大に踊り、祝賀会は盛り上がりの内に閉会した。
閉会後は、別室にて日本の慶祝団と渋川会長、そして青森県元留学生・研修生5人との懇談会が行われた。