私の活動するアマゾニア日伯援護協会は日本人移住者の医療福祉の充実を目的に1965年に設立されました。ベレンのアマゾニア病院は1969年に開院、1980年代にはトメアスーに診療所、アナニンデウア市に高齢者施設厚生ホームが開設されました。当初数人の日本人医療者で始めた病院は、現在ではベレン市の代表的な病院となり、厚生ホーム入所者は約半数がブラジル人になりました。
私は2024年4月からJICA海外協力隊としてアマゾニア病院の利用者サービス窓口で活動を始めています。主に入院中の高齢日本人、日系人と話をして病院利用の苦情や提案、利用してよかった点などを聞き改善につなげます。高齢者の中には50年以上ブラジルにいても、医療用語や行われる治療について理解できない人もいらっしゃいます。入院には、家族や雇われた看護助手が付き添います。2世、3世の家族や付き添いの人との通訳を、患者さんが私にしてくれることもあります。UTI(集中治療室)では、私が話す日本語は、この患者さんが聞く最期の言葉かもしれないと思うと、貴重な活動をさせていただいていると感謝を感じます。反応のない患者さんに唱歌やそれぞれの故郷の民謡を聞いてもらうこともあります。
私の暮らすベレンはマンゴー並木が有名です。アパート3階以上の高さの緑色の大木が続きます。並木の遠くに見え隠れするバスを探しながら、約50年前の小学校を思い出していました。当時、私の小学校では「遠方凝視」が行われていました。業間休み時間の校庭で遠くの山の緑色をしばらく眺め、続いて指先をじっと見て、また遠くを見る。これを何回か繰り返すと目がよくなると言われました。きっと効果はあったのだろうと思います。小学生の私にとって、嫌だけど楽しみな時間がありました。青汁(知っていますか?)を飲むのです。青汁を飲むアルミのカップの底にはドロップが1つ入っていて、にがいにがい青汁を飲めたごほうびのようでした。時にはドロップが2つ入っていることもあって、とても嬉しかった。これも何かの役に立ったのだろうと思います。
マンゴーの大木には、他の植物が植生しています。鳥や風が種や胞子を運び、アマゾンの十分な雨と日差しで新たな植物の命が始まります。乾季には、マンゴーの葉は黄色い小刀のようにカチカチに乾き落ちます。枯れ落ちる葉もあれば、芽吹きを抱える枝もある。1本の木に様々な命がかかわっています。私は枯れ落ちる一葉かもしれませんが、やはり多くの命に支えられ影響を受けここまで運ばれてきたなあと感じます。
マンゴーの木は人より長生きです。ある時、マンゴーの枝から長くたれた根?ツタ?枝?のようなものを引っ張ってみました。引く力は葉に伝わり、蓄えた雨水がバサバサと落ちてきました。見ていたブラジル人は「当たり前でしょ」といった顔で笑っています。大トトロがドスンとした時のように、傘をさしていたら雨音が楽しめたでしょう。