トボトボ歩きながら、今日は桃の節句だと想い出した。
去年グァタパラでは女の子がいる家で共同で雛祭りを賑やかにやった。運平も呼ばれて甘酒をのんだ。ブラジルに来て産れた子が多いので〝二才、三才の女の子たちばかりで色気がないなどと憎まれ口を叩いて皆を笑わせたりした。
運平は立ち停った。
死んだという吉武守の誕生日が桃の節句だった。母のサトに負われてあの日も来ていたが、父の亥作が
「チンチンをつけて三月三日に生れやって」と言っていたのを覚えている。すると、守は満二才の誕生日に死んだことになる。
亥作もサトもひどいマラリヤをやっている。サトもすぐ死ぬだろう。亥作も死ぬだろう。五つの男の子と三つの女の子は割に元気だった。
運平は動けなくなった。足が別の意志を持ってしまったように進まないのだ。彼は長いことそこにうずくまっていた。死者たちの家へ向って歩き出す気力が充実するまでひどく時間が掛った。
彼が再びノロノロと歩き始めた時、あたりは夕闇がつつんでいた。時々、視界の中を人がフラフラと幽鬼のように歩く姿が過ぎるのだった。
夜だけ鳴く烏がギャッギャッと騒いでいた。大きな翼を持ち、地表を低く飛ぶ鳥だった。ホタルの群れが湧いていた。息をつめなければ通り抜けられないほどの濃い群れが狂ったように乱舞している場所もあった。蛍に導かれるように彼の肩を落した姿は、病人や死人たちの家を一軒一軒めぐった。
三月五日に橋本豊吉の次男の政道(五才)と山下ムメの夫の仙次が死んだ。正月の土地割りの日に生れた門前角平の長男の馨も死んだ。
翌日は林田伊十の妻のトクが死んだ。
その翌日はイサノが姉のようにしていた中川フクノが死んだ。イサノの必死の看病も効果がなかった。夫の逸二もほとんど意識がなく、妻の死亡も分らないのだった子供の智も絶望だった。二才の智は弱り切って何を与えても食べる元気がなくグッタリしていた。無理に口を開けて抑え込んでも、すぐに吐いた。イサノは偏執狂のように、何度も何度もサジを智の口許へ運んだ。イクノのなきがらも、寝ている逸二もひどく黄色い肌の色に変色していた。
翌八日に、イクノと同じ年で、しかも同じ山口県なので仲良しだったヨシノが死んだ。 杉野四郎の妻で、イクノの隣の小屋に住んでいた。イサノとも仲が良かった。
三人とも名前まで似ているのだった。(つづく)