私が会長を務めさせて頂いているブラジル福島県人会で理事を務めてくださっている佐々木リカルドさんの従弟は、浪江町出身の佐々木恵寿福島県議員です。
私の家の出自は浪江町です。私が先日、日本へ出発する前に佐々木議員連絡してみました。佐々木議員は私に浪江町の親戚の住所はあるかと聞きました。母の戸籍謄本を調べたところ、二つの住所が書かれていました。
一つは母の安倍家の住所でしたが、東北大震災のために家を空け、富山へ引っ越していたことが分かりました。
もう一つは古田家でした。年上の親戚に古田家について聞いてみると、私から考えると遠いながら、たしかに親戚でした。
私の母の父、つまり祖父は安倍正、安倍家の長男でした。その次が安倍貞良(ていりょう)で、ブラジルへ移住する前(1934年)に浪江町で古田ヨシ子と結婚しています。だから浪江町の古田家は親戚なのです。
福島県に行くのは三回目ですが、浪江町を訪れたのは今回が初めてでした。浪江町に着くと「なみえ文化の家」の原田洋二さんが案内してくれました。古田家にも行きました。
古田家は90年前と同じ場所に家がありました。私が行くことを事前に知らせて頂いていたので、広い応接間のテーブルには写真アルバムと古い写真が置いてありました。
1986年、浪江町合併30周年記念(1956年に大堀村・苅野村・津島村が合併)があり、その時に浪江町からブラジルへ親戚団訪問が行われたそうです。100人が参加し、日本のバブル時代とはいえ、飛行機の座席を全て借り切って行ったそうですから、当時も新聞記事になるような大きな出来事でした。
古田家のお祖母ちゃん(だいぶ前に亡くなっている)もその機会にブラジルへ行って、親戚と会い、思い出になる写真を沢山仕舞っていました。
そこにはブラジルで発行された1986年の「日伯毎日新聞」があり、浪江町の団体がブラジル訪問を行った記事が書いてありました。その新聞を見てみると、なんと偶然にも自分の38年前の写真が出ていました。
当時、自作のぬりえ雑誌を発行して、日伯毎日新聞に記事にして頂いたのでした。
しかし、38年前の自分の写真に初めて行った浪江町で出会うとは。想像するのも難しい偶然だと思いました。
福島県からブラジルへの移住者は日本の都道府県の中では6番目に多い1万4千人です。福島県で一番多いのが浪江町でおよそ半分だそうです。