小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=88

 ペンナ駅で馬をあずけて昼食をした。ペンナの人々もトレス・バラス(平野植民地の所在地名)のマラリヤがひどいという噂は聞いていて、心配してくれた。
「医者を迎えに行く」と彼は言った。
「ここに医者が来たことはない」
 と雑貨店の主人は言った。こんな処まで来るのはせいぜい祈祷師までだそうだ。
 夜、バウルーに着いた。事務所に行くと、弟の彦平はほとんど回復していた。
「発熱する時間が毎日十分か十五分くらい早くなりはじめるんです。そうしたら一週間くらいで楽になりました」
 と付添いの畑中仙次郎が報告した。
 入植申込者がひき続いてやって来るので、事務所はまだ必要だった。
 今はマラリヤが出ているから、入植は暫く待つように…と言って、申込みだけを受け付けているが中には、
「マラリヤがこわくて開拓などできるか。すぐ行く」と元気のいい人もいて畑中を手こずらすのだった。かなり払込金が事務所にあった。
 翌日、その金でポケットをふくらませて運平は医師の門を叩いた。
 二人に断わられ、三人目の医師がやっと同行を承諾した。
「往診料は距離で計算するのを貴方は知ってるでしょうペンナ駅では非常に高くなりますよ。いいですか」
 医師は念を押した。
 医師が計算した金額は往診料だけで運平がグァタパラで副支配人として得ていた給料の数カ月分に相当した。
 運平は半金を前払いした。いくら高くても来てくれるだけで有難い。
 十三日の夕方、運平と医師は植民地に着いた。
 イサノが、七日に死んだ中川フクノの夫の逸二が危篤だと告げた疲れ切った医師に無理を言って逸二の小屋へ案内した。
 脈をみて、カンフルを注射すると医師は立ち上った。
「どうでしょうか?」訊ねると、
 医師は首を振った。
「手遅れです」
「なんとかなりませんか」
「貧血、肝臓機能障害、それに伴う重症の黄痘……何よりも衰弱しすぎています」
「……」
「今夜か、明日一杯でしょう。お気の毒だが」
 二日滞在してそれぞれの処方箋を書き、医師は逃げるように去っていった。確かに町の開業医が我慢できる処ではない。彼は午後三時頃に診察を切り上げ、夕食を済まし午後四時頃からは収容所の中に吊ったカヤ付ハンモックに潜り込んで一歩も外へ出ようとはしなかった。(つづく)

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