小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=94

 彼は目を開いた。畑中がポツンと座っていた。
 「どうですか?」
 「気持が良い」
 低い声で運平は答えた。
 「マラリヤもいいもんだなぁ。後が風呂に入ったようにサッパリする……ピンガをとってくれ」
 「薬を飲んでください」畑中が言った。
 「ピンガがいい」
 「平野さん、あなたは死ぬつもりなんですね」
 「……」
 「分っています。死ぬつもりなんだ」畑中は泣きそうな声をだした。
 「……」
 「でも、あなたが死んだら、ここはどうなるんです。あなたが居るからこそ、皆がんばるんだ。平野さんが死んだら明日にでも、此処には誰もいなくなってしまう。すぐ、又もとの森になる。
 そうしたら、今迄の犠牲者は犬死じゃないですか!どんなに苦しくてもここに開拓者の楽園を築き上げるのが、生き残ったものの死者への唯一の供養じゃないですか」
 「……」
 「平野さん、死なないでください」
 「ありがとう畑中、わしの気が弱くなっていたようだ」
 運平は微笑した。
 「薬をのんでください」
 「いや、やはりピンガにしよう」と彼は言った。
 「必らず直るから心配するな。こういう直し方もある、ということを見せてやる」
 呆れたようにロを開けている畑中を前にして、運平はゆっくりとピンガのコップを口に運んだ。
 五月一杯、運平は床から起きられなかった。間断なく寒さ暑さが襲ってくる。肝臓に入り、それから赤血球に侵入するマラリヤ原虫プラズモジオに抵抗して、体が必死の闘いをしているのだった。人間どおしの戦争に荒廃がつきもののようにマラリヤとの闘いに少しずつ勝利を収めながらも運平の肉体は疲れ切っていた。皮膚はたるみ、濁った黄土色を呈している。肝臓も牌臓も肥大し、胃はただれ、食欲はほとんどなかった。しかし、運平は頑強にピンガを傾け続けた。(つづく)

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