どうやら動ける日もある。彼は杖をついて見舞いに歩いた。彼が高熱にうなされている時、再びバウルの医師が乞われて往診したがーー転地をして、栄養と休息をとれば直る――と診断をして帰った。確かにその通りだろう。しかし、現実には不可能だった。
……稲が黄金に色づいていた。穂も重そうに重なっている 。熱の合い間に動ける者が緩慢な動作で収穫していた。ほんの一週間はどの食いぶちを穫るともう疲れて動けないのだった。
彼は畑中に頼んだ。
「ペンナ駅で人を集めて米を収穫して貰ってくれ」畑中は馬に乗って走っていった。足許を見られて高い日当を要求されても、背に腹は替えられない。この米を収穫しないと来年まで食いつなぐことができない。
少しばかりの荷物を重そうに背負って男が歩いてくる。
「平野さん……」
男は深々と頭を下げた。男は磯本役蔵だった。妻が後に鍋や釜をさげて従っていた。
「おお、行くのか」
どこかのコーヒー園で働く知人を頼って落ち延びていくのだ。先月の十六日に生後一年のフミ子を死なした。
乳が出なかったのだった。
「元気でな」
「お世話になりました」
二人の男と一人の女はもう一度頭を下げた。
うるしに似た木の葉が黄色く色づいていた。秋だった。
地上は猛暑といっていい毎日だが、青く澄んだ空の高みを季節が過ぎているのだった。秋は空の高みから木の葉に息を吹きかける。一組の男女の後姿を見送ってから、運平は杖を墓地へ向けた。
肩で息をしながらだらだらの斜面を墓地を目ざして登っていた彼は、ふと足をとめた。
墓地に一人の男がいた一本の墓標をなでていた二十八才の糸永俊三にちがいなかった。十日はど前に恋女房のモジが死んだのだった。
運平は墓への径を辿らずに、散在する小屋の一つへ向かって歩きだした。もう無人になった小屋もあった。
径を折れても、俊三の哀れな姿が瞼に焼きついている。
妻が生き返るのを待っているような姿に思えた。彼は熊本の玉名郡だが、死んだモジは対岸の島原だった。
「わたしゃ肥前の島原そだち、剛毅朴訥ありのまま」という唄のとおり、素朴でやさしい仕草もある女だった。大きい黒い瞳をしていて、いつもは伏目がちだが、何かの調子にパッと目をあけてこちらを見る瞬間、ハッとするほど美しかった。俊三があきらめ切れないのも無理なかった。(つづく)