小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=100

 ワラビが呆け、シダの葉型を整える頃に雨が降り始めた。十月だった。コーヒーの苗をつくる。米を植える。綿を植える。雨期蒔フエジョン(豆)を植える。しなければならない事が山のようにあり、目が廻るほど忙しかった。
 欧州では第一次世界大戦の戦火が拡っていた。農産物は国際的に値上りしている。中でも綿は異常な値上りを示していた。白い黄金という言葉が綿の異名として生れかけていた。
 目標はあくまでコーヒーだが、勝負の早い綿を人々は植えた。
 自分たちで森を拓き、作物を植えるのであるから、まだ作付面積は知れたものだったが、毎日毎日、夜明けと共に畑へ出て日が暮れるまで鍬を振った。
 入植区は十三区に区切ってあった。運平は中央の九区に居を構えた。相変らずヤシの半割りの丸木小屋だが、入口を入ると居間兼事務所。右に寝室を二つ。寝室の前にベランダをつけたので、少しは家らしい感じがする。
 日中の厳しい直射日光を背後に負って、家は南面していた。なだらかな斜面の中央に、ポツンと一軒だけ建っているのだった。三百米はど斜面を降ると平野川の爽やかな流れがあった。
 隣の八区は測量師に言い含めて五アルケール余分にとってあった。学校や青年会飴や墓地などをそこに置く予定である。
恵みの雨が降り続く日々の中に、大正六年(一九一七)の正月がめぐってきた。
 運平の家の前に人々は集って正月を祝った。去年の正月よりも何もない。しかしいい正月だった。久し振りに唄が出た。
「今年は豊年満作で、道の小草に米がなる」
 運平も楽しそうに手を打ってはやした。そしてひっきりなしにピンガを飲んだ。アルコールが切れると手が震えるようになっていた。
 夜、小用に立つと、家の周りに乱立する焼けぽっくりが月光を浴びて黒々と立っている。その向うには深々と森が眠っている。牧歌的な白昼とはガラリと趣をかえて凄惨な光景が月光の下に展開されていた。焼木は淋しそうに佇んだり、苦悶して身をよじり手を差しのべている人の姿に見えた。死者たちの群が彼の家を取り囲んでいる。ギャーと断末魔の怪鳥の叫びがすぐ近くでする。ホッホッホッと女が笑うような音が森から響く。斜面の下方には蛍の大群が乱舞していた。谷全体が光り、渦巻いていた。蛍の塊りとは思えぬ、大きな青い光が移動するのを視た夜もあった。現実の夜景は六カ月前の日々に彼の心を絶えず引き戻すのだった。彼の手は習慣的に酒ビンとアルミのコップに延びた。酒の酔いだけが彼の心を麻痺させてくれた。(つづく)

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